お知らせ
■webサイト改装計画中……

2012/01/01

新年明けましておめでとうございます

Filed under: お知らせ — ksk @ 11:28 AM

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年もkskとpaper-viewをどうぞよろしくお願いいたします。

2012年 元日 ksk

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改装できず放置状態になっているこのサイトですが、web上での活動をどうするか、というところで悩んでいます。
しかしGAMEバンドを中心として創作関係ではむしろ潤っているため、こちらに力を割くこともできていない状態です。
限りある自分のリソースをどう活かしてものづくりをしていくか。
2012年には新しい方向への動きも模索しつつ、かつこれまでやっていたような活動、論考なども充実できるよう邁進したい所存です。
見捨てず見守っていただければ幸いです。

2011/08/18

ウェブサイトを再構築します

Filed under: お知らせ — ksk @ 11:52 PM

僕がウェブ上での活動を始めたのは高校2年くらいだったと思いますが、当時はウェブサイトと言えばまだHTMLとCSSで構築していて、javaスクリプトがどうとか、Flashはまだ無かった時代でした。。
みんなHTMLでウェブサイトを作って、コンテンツにキリ番帳とか掲示板とかあったりして。

その後blogを各種webサービス会社がやるようになって、ホームページといえばblogと言われるような時代が来ました。
「ホームページは自分で作る物」ではなくなり、前略プロフ、SNSなどの自分のプロフィールをホームページと呼ぶようになりました。

今では、個人の活動から、小規模な自営業くらいまでなら、レンタルのサービスで賄えます。
ネットショッピングも、amazonや楽天を使えばよい。

そんな状況下で敢えて、自分でレンタルサーバーを借りてブログを設置し、0から自分のサイトを構築する意義は何か。
一つは完全に「意地」です。
もう一つは、やはり自分を何らか他人と違うものとしてアピールしたい、という欲求です。

ではそのためにwebサイト上に必要な要件は、というと、独自性のあるコンテンツでしょう。
paper-viewにはそういったコンテンツがあるか。

ないことはないと思います。結構頑張って毎回書いてます。
が、それは他の日記じみた記事やら、こういうどうでもいい報告とかに埋もれたりする。
書評も敢えてここでやる必要性はない。amazonレビューとかのが人の目につく。
現在のぼくのウェブサイトは、僕を知らない人にとって非常にわかりにくい構成になってる。

じゃあなんでやってたのか。僕はこう活動しているよ、というのを、近しい人と見知らぬ人、両方に全部アクセスさせたいという、ちょっと欲張りな願望がありました。
だから、全ての創作結果をblogを設置したサーバー上に集約した。
twitterで更新状況が発信され、mixiではRSSのクロールで日記が発信され、それらの成果はblog上に集まっている。
僕の手間もblogを更新するだけでよい。

その方式を崩し、以下のように再構築しようと思います。
・コラムや創作物はレンタルサーバー上に書く
・個人的な日記はmixiで書く
・書評、ゲーム感想はブクログに書く
・二次創作はpixivなどに置く

といったところです。
なぜ移行するかというと、2つの理由があります。

・webサービスがこなれてきて、淘汰されてきた

実はブクログはかなり初期に利用登録をしていました。
が、そのシステムの重たさと、使いにくさで利用をしていませんでした。
他にも同様に登録したけど使っていないサービスは沢山あったのですが、ひとえに

「これは数年後も閉鎖されずに残ってるのか?」

という不安があったからです。
現在、いくつか大勢が決した物があるので、それを使っていこうということです。

そしてもう一つは

・twitterを通して各サービスを連携させられるようになった

という状況です。
既に書いたように、僕の欲求の一つとして「更新状況を身内にも伝えたい」というのがあります。
それには、今まではblogのRSSをmixiと連携させてやるのが一番よかった。

が、今はmixiもtwitterと連携し、twitterは上記の様々なサービス、また自信のblogとも連携をする。

つまり、twitterまたはボイスがあれば、自分という人間を身内に追ってもらうことは容易になったと言えます。

ですので、今後はpaper-view本体は自分の独自性を発揮したコンテンツのみを置き、そこに様々なwebサービス上の僕の個人ページへのリンクも置き、全体の更新状況はtwitterにまとめる、という運用方法にしていこうと思っているのです。

ひとまず、ちょうどこのxreaのサーバーも重いことですし、新たにレンタルサーバーを借りて、そこに設置していく形で動こうと思っています。

で、それをしたら、もっときちんと「自分のサイトに置くためのもの」、自分の名刺になるようなものを沢山作るようにしたいと思っています。

年末をめどに、作業していきたいと思います。

2011/08/13

海月姫/東村アキコ/講談社コミックスKISS

Filed under: 本・雑誌・マンガ — ksk @ 9:55 PM

薦められて読みました1~7巻。

クラゲが好きなオタク女子と、女装美男子が出会い、女子を変えて行く……ってなお話ですね。
僕は少女マンガのコマ割りが苦手なんですが、この作品はサクサク読めました。
キャラもしっかり立っているし、数の多いオタク女子の動きが気にならない。
7巻までで展開が面白くなってきたので、続きをどう盛り上げていくかが楽しみです。

作品のスタートを見てみると2009年でした。
オタクが題材だからてっきり2005、6年くらいかと思っていたら、そうでもなかった。
ただ女装男子、オタク女子が出てくる辺り、やはりごく最近、といった感じ。
このへん、あまり整理できてないんですが「げんしけん2代目」でも女装男子が出てくる。
元々はどちらかというと「お水」「オカマ」の文脈だった女装の位置付けが変わってきてるのを感じていて、そのへんにも注目して読んでいました。

読みながら、どこかで見た線だなぁ……と思っていたら、多分しりあがり寿先生だと気付きました。

2011/08/10

フレンチ・ウィンドウ展(森美術館企画展 ~H23.8.28)

Filed under: 未分類 — ksk @ 9:27 PM

行ってきました。
http://www.mori.art.museum/contents/french_window/index.html
現代美術は好きなのですが、素養はないのでぱっと見て面白そうな時に行っています。
今回も行ってから、かの有名なデュシャンのデュシャン賞の受賞作家達の展示であると知りました。

デュシャンについてはwikipedia等で調べてもらうとして、僕でも知ってる有名な作品は、買って来た便器に名前をつけただけの「泉」という作品です。
この既製品を使う手法は「レディ・メイド」というそうです。

素養がないので勝手に楽しんで勝手にコメントをつけるわけですが、入ってすぐデュシャンの作品群があるので、それをポイントとします。
便器を「泉」と名付ける事の効果について考えるということです。
モノには名前があり、モノには多かれ少なかれ機能、又は意味があります。
便器には用を足す機能があり、「便器」という名前と、便器の「形」がその機能をつかさどっています。
便器から「便器」という名前を取り去り、「泉」という名前を与えてやる。
形は便器の形を保ったまま「泉」という名前を受け取ることで、元の意味を完全には捨てず、だけれど新しい意味を吹きこまれた、普段使用している「便器」とは異なる意味を手に入れたモノにすることができています。
たとえば、未来に人類が消失した後、残された文明を発見した何がしかの生物が、便器を発見し水が出たことから「これは泉を作る装置なのだ」と解釈した……など。

レディ・メイドはそのモノがもっている「一般的な」意味を利用した方法だと感じました。
既に何らかの形、名前、意味を持っている物体に、1つの作業を加えることでその物体の性質を変化させる。
元々の性質と、変化したあとの性質の間の距離を楽しむ。

手法として身近な物が使われている分、容易に楽しめた展示会でした。

で、その後アクアリウムも見てきました。
これも綺麗でとても良かったです。こっちは「わかりやすい」きらびやかさで、合わせてちょうど中和された感じです。(笑)

次のメタボリズムの未来都市展も行ってみたい。

ドラゴンクエスト6幻の大地(漫画)/神崎まさおみ/エニックス

Filed under: 本・雑誌・マンガ — ksk @ 9:02 PM

全10巻のコミカライズ版です。
結論は「ドラクエではない」です。
「ドラクエとは何か?」については後述します。

漫画としては絵も綺麗で安定していて、話も読みやすく、質は高いです。
ストーリーの構成も、原作ありと考えても比較的まとまっています。
気になったのは著者近影の写真くらい。(笑)

弱点はドラクエの看板を背負ったことで、描かれているドラクエ像と、一般ユーザーが既に持っているドラクエ像が一致しないことです。
「僕の知ってるドラクエと違う」ということですね。

ポイントはドラクエのキャラクター達に性を与えてしまったことでしょう。
プレイ中には極限まで薄められているドラクエ内部での性愛が、書かれてしまっている。
主人公×バーバラ、ハッサン×ミレーユの構図を描きすぎて、生々しくなってしまった。

ドラクエとは何か、について。
ゲームのドラクエは「おお!神よ!」といったセリフで描かれるように、演劇的に、ベタベタした感じで描かれます。
キャラクターはお人形的で、特にプレーヤーキャラはその度合いが高く、更に主人公に至っては完全に受身の存在になります。
ドラマの担い手はいつもサブキャラクターです。

このためパロディ要素の強い4コマではシチュエーションに即してキャラクターへの異なる味付けが許されます。
けれど、継続的に物語に乗せてキャラクターに性格を与えるべきではなかった。
バーバラに恋をする主人公を長く語ってついてこれるプレーヤーは少ないと思います。
オリジナルのドラクエ世界作品のロト紋やダイですら、主人公は性に興味薄く描かれていますから。

元々味付けがないドラクエ(のキャラ)に対して、作者の解釈で味付けを加えてしまうと、プレーヤーによる味付けが効かなくなり、結果「僕の知ってるドラクエと違う」となってしまうのでしょう。
どうにも、うまくいかなかった漫画でした。
ドラクエをプレイしていなければ楽しめるかもしれないですね。

2011/08/03

みんなのリズム天国

Filed under: ゲーム — ksk @ 10:37 PM

任天堂のデザイン力が光る、とてもいいゲームです。
ゲーム初心者の人でも十二分に楽しめる作りになっています。

リズム天国は記憶では「メイドインワリオ」シリーズの後継であると思いますが、リズム天国では、メイドインワリオのデザイン面の反省が活かされています。
メイドインワリオでは、シンプルな短いゲームを次々にこなしていくというシステムがとられていますが、これは瞬発力、状況理解力、ゲームに対する抵抗の無さが揃わなくては、とっつきにくいゲームであると言えます。
普段からゲームに親しんでいるならば問題はないのですが、数年前から任天堂がターゲットとしている、ゲーム初心者層には向かないゲームです。

リズム天国では、シンプルなゲームという点では同じですが「事前にじっくりと説明をする」ことで、初心者の恐れを取り除いています。
そして1ゲームの時間はメイドインワリオよりもずっと長く、単調な操作では飽きが来るところを、音楽にノせるという仕掛けによって回避しています。

更に注目すべきは、このゲームをプレイした時にいかに自分の動きがゲームに誘導されているかということです。
事前に説明がなかったタイミング、操作方法などであっても、画面の動き、曲、エフェクトなどで何をすればいいかが判るようになっている。
また、視覚的に様々なトラップを仕掛けることで「このゲームはリズムをとらなくてはいけない」「このゲームはリズムをとることで簡単になる」ということに自然に誘導しています。

沢山のゲームを遊んでいますが、こんなにしっかりデザインされているシリーズにはあまり出会っていません。
Wiiをお持ちなら是非遊んでみるべきであると思います。

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ここからはゲーマー的なプレイ後感想。
曲は前回よりも全体的にノリ重視だった気がします。歌モノが減っただろうか。
キャラクターが全体的にかわいく、とくに女性キャラクターはどれも可愛くてこまります。
ふたり用ゲームはもう少しアシンメトリカルな動きとか、左右入り乱れた動きがあってよかったと思います。
両手にコントローラーを握ってプレイした僕の言うことじゃないかもしれませんが、それを考えても、ふたり用ゲームにはもう少し難度があってもよかったのではないでしょうか。
コンシューマー用としてはちょっとボリューム不足かな?

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みんなのリズム天国
みんなのリズム天国
posted with amazlet at 11.08.03
任天堂 (2011-07-21)

2011/08/02

テレビは時代を映すか?

Filed under: コラム — ksk @ 11:18 PM

テレビは時代を映していたのではなく、テレビが映したものが時代だった。
今は映すメディアは沢山あり、よって時代はひとつにまとめて語れなくなった。

ふかわりょうさんがウェブラジオにて「テレビは時代を映すものではなくなった」という発言をしたとのことです。
完全な引用ではないので気になる方はご自身で調べてくださいね。

これを聞いていたのですが、頷ける部分もありつつ、でも完全に同意はできませんでした。
「どちらが先か?」というところが整理されていなかったためです。

疑問は「テレビは時代を映すか?」というものです。
ふかわりょうさんの言葉を借りると「テレビが時代を映していた」頃、テレビが映した時代は本当にそこにあったのだろうか。
過去、大衆が情報を得る手段は「マスメディア」が大部分だったはずです。
マスメディアの一党独占状態では、マスメディアが時代を映していたのか、マスメディアが映したものが時代になったのかの区別がつけられない。

時代(≒個人の嗜好)は過去も現在も無数にあったと考えられます。
だけれど「今面白いのがこれだ」と大衆に向かって送信できるメディアはマスメディアしかなかった。
だから、マスメディアが映したものに対抗する勢力はなく、マスメディアが映したものは自動的に時代となれたのです。

現在は違います。インターネットなどのマスメディア以降のメディアが、マスメディアの一党独占状態を崩した。
これによって複数の嗜好はそれぞれの勢力として対立「できる」ようになったのです。
それが今具現化しているのが、フジテレビとネット上での韓流文化をめぐる争いなのだと思います。

現状、まだマスメディアは韓流を撤回する必要はないでしょう。
インターネット世代よりも年長の世代は、いまだマスメディアの強い影響下にあり、金払いも下の世代に比べてよい。
インターネット世代を無視しても時代を作ることによる利益があるならそれを選択する意味がある。

しかし、いつかテレビが、時代を作ろうとする行為が「割りに合わなくなる」時代は来るのではないかと思います。
その頃、時代はどうなっているか。
それもまた、恐らく客観観測不能であり、沢山のメディアが、その時代の嗜好をそれぞれに映し出すのではないでしょうか。
そのメディアは一つか、複数の拮抗か。どんな時代が映るのでしょう。

2011/08/01

雑記0801 友人が無職になったでござる

Filed under: 雑記 — ksk @ 9:58 PM

気が付いたら8月です。
8月になったら友人が無職になりました。

計画的に辞めるリスクを取れる人は凄い。

普段辞める辞めると言っている僕ですが「辞めるという奴ほど辞めない」説は確かで、辞めてません。
スタンスとしては「いつか辞めよう」ですが、一応、これは心の安定剤以外の機能を高く見積もってます。

日本では正社員≒終身雇用がどうも基本モデルで、社会的な仕組みもそれを念頭に置かれています。
なれるかどうかを考えなければ終身雇用は生活するのにベターな選択です。
このベターな選択を神格化してない自分としては、正社員の身分を捨てることができるというのは、働き通すというのと同じくらい気合いの入った行動だと思います。
僕はレイシストではないので有職人種も無職人種も差別しません。

とはいえ「ベターな選択を計画的に選び取る」と能力を単体で見ると、その能力の有無は様々な場面に関わってきます。
「計画的な正規雇用獲得」>「無計画な非正規雇用選択」では前者に能力的な信頼を置くのは妥当と言えましょう。
それでも可能な未来という見積もりをかけたとき、計画的人物が取る「辞める」は強い。

僕は現在のところの労働条件を賃金と拘束時間から見てベターだと思っています。
ベストではないのは、特に面白くないことと、正規雇用では自分の時間のコントロールをフルに行うことは不可能に近いからです。
現在の条件下にとどまっているのは「自分の能力の期待値」×「全てを自営する生活」<「現在の満足度」だからです。

僕が現在の正規雇用にとどまっているのは、自分の将来の可能性を低く見積もっているからなのですね。
だから、辞める選択肢を取れる人→将来の自分の可能性を高く見積もれる人 で、凄い人なわけです。

その他に要因が無いわけではないですが、現時点での自分の能力、という点に着目するとそんなもんです。
新しい道を選択した友人、その他にもしそうな友人がちらほら居ますが、全力で応援していきたいと思います。

んで、僕とてこのままの満足度で終わるつもりはないので、獲物を研ぎつづけています。
友人たちに負けないよう、頑張る所存です。

2011/07/28

目的合理を追求する

Filed under: コラム — ksk @ 11:39 PM

合理的行動には大きく二つの分類がありまして、ひとつが目的合理、もうひとつが価値合理。
これをググるとややこしい説明が色々出てくるんですが、本文中においては

ある行動が
目的合理的→目的の達成に重点が置かれている
価値合理的→行動者の価値感充足に重点が置かれている
ということでまとめておきます。

企業活動は基本的には目的合理的であるとしてよいでしょう。
法人は究極、価値とは無縁なので、その目的=利潤追求に対し合理的行動をとる。
個人の趣味活動は逆に価値合理的である、またはあってよいと思われます。
つまり「価値」に合わないのなら、合理的でないのだから目的未達成でも中断できる。

ひっくり返すと、趣味活動を効率的に完遂するには「価値」と「目的」を同化させるのが重要なのです。
究極的には「完遂すること」に「自分のプライド」より高い価値を設定すれば、大体の事は達成できると思います。

『G戦場ヘヴンズドア』(日本橋ヨヲコ/小学館IKKIコミックス)には「プライドがあるからこそどんなことでもやる」
という内容の発言があります。
「目的を完遂すること」が最上の目標であるから、そのために他者から自分が低い評価を受ける程度では、プライドはダメージを受けない。
逆に言うと「目的を完遂できなかったとき」最大のダメージを受ける。
なんだかぐるぐる回ってる気がしますけど。

言葉遊びみたいになってきましたが「自分の価値のために」「自分を棚上げして」「自分の目標を達成する」ということなのです。
これをしてる人は意外と多くない。
が、これが出来る人が回しているイベントは、とってもよく回っているイメージがあります。

で、この中で、企業活動は利益最大化を狙い、個人活動は参加者の満足最大化を狙う。
結構、ここまで辿りつかずに、主催者の価値が目的とズレて破談するケースは多いです。

2011/07/20

ナナとカオル(1~6、BlackLabel)/甘詰留太/ヤングアニマル

Filed under: 本・雑誌・マンガ — ksk @ 11:05 PM

冴えない男ナナと生徒会で好成績のいい子カオルの二人が、カオルの息抜きと称してSMをするお話です。
ナナがSで、カオルがM。
設定が高校生なので、二人の局部描写とか性交はありません。

読んでなんとなくSMについての理解が深まりました。
SとMの間の強固な信頼関係を前提として、極限の緊張と、緊張からの解放のギャップでエクスタシーを得るのですね。
単純に縄の処理や、ボンテージなどの素材についても知らなかったことがたくさん。
面白いです。

でも僕はこの甘詰氏の漫画の進行がちょっと苦手です。
絵とセリフの回し方が読みづらく、ガンガン読み進めたい場面でうまく流れていかない。
苦手か問題ないかで分けるなら、どちらかというと苦手です。
この辺りが気にならない方は、氏の画力も相まって十二分に楽しめると思います。

ある程度読んだ後実際のSMについて検索したのですが、思ったより醜い印象を受けました。
恐らく甘詰氏の画力で艶やかに描かれていることとのギャップだと思います。
そもそも、性的なものというのは相当に主観化していかないと醜く映るものだと思います。
その中でもSMは、自分がSかMかを瞬時に演じられないと、観客としての消費は難しいのでしょう。
女性が縛られているとか、そういう画像を見ても、ナナとカオルで描かれたような信頼や緊張と解放は得づらい。

と、主にSMに絞って感想を書きましたが、恋愛モノとしても面白くなっていきそうです。
続きも出来るだけ読んでみます。

ナナとカオル 1 (ジェッツコミックス)
甘詰 留太
白泉社 (2008-11-28)
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