2010/02/27

涼宮ハルヒの消失(映画)

Filed under: 映像・ビデオ・DVD — ksk @ 7:53 PM

今日見てきました。
実は涼宮ハルヒ関連のものは、僕は小説版の「憂鬱」と「溜息」しか
読んだことがなくて、それ以外はアニメも何も見ておりません。
小説の刊行順としては「退屈」も見ていないことになるので、
ある意味では消失の感想をここから述べるのは、
ちょっと不適当なのかもしれないですけど、
ひとまずそういう立場で書いてますよということで。

で、まずはネタバレとは遠い映像の事について。
元々和製アニメーション映画が好きなんですが、
映像全体のバランスが良くて好きでした。
見せ方も面白いものが多いし。
そこは「さすが京アニ!」というべきか。

音楽も全体的に好き。
孤独×ミステリーにはゆったりピアノがよく似合う。

んで、ここからネタバレにもかかわるというか、
物語の話を交えていくので見てない人はご注意ね。

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そもそも小説版から、涼宮ハルヒの~という作品は、
ものすごく「SFで哲学なテーマ」を取り扱ってて、
しかもそれを「キョン」の一人称から語っているという、
仕掛けとして既に凝った作りになってる。

で、これによって一人ひとりのキーパーソンには
その人物が持つ能力による役割の他に、
「キョン」とかかわる事によって生じる些細で個人的な行為を通して
その人物としての個性が一緒に備わってくるんだと思う。

たとえば長門というキャラを三人称で描いたとすれば、
もっと長門というキャラは無機質「だけ」になってたと思う。
長門というキャラクターの振る舞いは十分に無機質なのに、
それをキョンというキャラが解釈することによって、
長門はあそこまでの人格を付与されている。
(…というところから引っ張ると、涼宮ハルヒシリーズでは
キョンの一人称であるがゆえに、長門は消失の事件を
起こさざるを得ない存在になったともいえるけど…これは割愛で。)

同様に小泉、朝比奈というキャラも
「完全に日常を超越した能力」と「日常性」を同時に持ってて、
すっごくわけのわからない存在。
で、逆にその3人のキャラに取って恐れ多き存在であるハルヒは
極限なまでに普遍的に描かれているわけで。

…という土壌を置いて、ではキョンが遭遇している自体はというと、
他のどのキャラクターと同席するにせよ「存在とは何か」
というような、これ以上なく哲学的なテーマ。
世界を変える事が出来るというハルヒの存在によって、
小泉が話をしているように、全てのキャラクターの存在は
かなりゆらゆらしてる。超不安定な要素集団。
ハルヒが「存在」を握っているという前提を小泉が語り、
「時間」というテーマを朝比奈が操り、
「空間・物質」というテーマを長門が担当する。
SFすぎるんだ、これ。

で、今回の消失だけれど…
涼宮ハルヒ「の」消失の「の」は何か?
涼宮ハルヒの憂鬱の「の」はハルヒが所有する憂鬱ということで、
その次の「溜息」も「退屈」も、涼宮ハルヒは主体。
が、今回の「消失」において、涼宮ハルヒはこの言葉の上でも、
涼宮ハルヒという人物が消失するという、受動的な言葉になってる。
その言葉通り、この映画でハルヒという人物が、
これまで持っていた意味としてのハルヒという形ではほとんど出てこない。
殆ど全体においてキョンという人物の物語。
涼宮ハルヒという人物は、キョンにとっては一番重要なキャラ。
本当はキョンは、作中で殆ど全ての友人達を一旦を失うわけだけど、
その中で一番失って辛かったものがハルヒである。

この意味において、
「今回の話は、キョンが涼宮ハルヒ(が統括する要素)を失う話です」
という意味付けがまず感じ取れるわけで。

…が、今回の「消失」で一番決定的に「消失したもの」は何か?
というと、これはハルヒ(が統括する要素)ではなく。
過程としてはハルヒが失われているが、結局戻ってくるわけで、
その反対側で失われたのは、ハルヒの持つ特殊能力のない世界。
そして、その結果として視聴者(小説では読者)の目の前に
「形として」提示された「特殊能力のないキャラクターたち」。
喫茶店で小泉とハルヒとキョンが話をするシーンで、
「時間が書き換えられたという可能性の場合、
 その時間が本来の形を取り戻したとき、
 書き換えられた結果存在している自分たちはどうなるのか」
という事をぽつりと言ってる。
(これに似たことは、小泉は憂鬱・退屈でもその可能性には度々触れてる。)

長門が用意したもう一つの可能性としての長門たちは、
かなり有無を言わさず、キョンの選択によって消失する。

これはキョンが選択したという結果はあるものの、
作品がこれまで引っ張ってきた前提に従うなら
涼宮ハルヒの(存在と能力によって引き起こされた)消失。
実はこれ、各キャラクターの存在が非常に「危うい」ために
各キャラクターを視聴者読者がしっかり「思いやらなきゃいけない」
このシリーズで、キョンというキャラの自己決定によって
きれいに隠してるけど、これによって全てのキャラに
「消失可能性」が植え付けられ、実際に一部のキャラが
有無を言わさず「消失」したということは、
すっごく悲劇で残酷なシーンなんではないでしょうか?

…ってくらいか、とりあえず考えたのは。
他は他の作品との絡みが色々あるので割愛と。
しかし、いまだにどうしてキャラがこんなに盛り上がっているのか判らない。

つぶやくつぶやく

2009/08/09

映画『サマーウォーズ』観覧

Filed under: 映像・ビデオ・DVD — ksk @ 9:49 AM

09/08/01から公開開始の「サマーウォーズ」を観てきました。
「時をかける少女」がすごくよかったので、
予告が出たときからこれは絶対行きたいなと思っていたのでした。

ということで、感想を書きますが、ネタばれも含むと思うので、
まだ見てない人はご注意ください。

全体としてはすごく面白かったです。
この夏(もしくは夏休み)に見てほしい映画として、
自信をもってお勧めできる一本です。
時をかける少女とは全く方向性が違って、
みんなで見て「面白かった!」と盛り上がれる映画です。

が、個人的に惜しいと思ったのは、
サマーウォーズで描かれている要素を説明するには
映画館の2時間の枠では少し足りないのではということでした。
主人公をはじめとするキャラクターの立場について、
もう少し説明がほしい!と思ってしまう。
それは結局、映画の各キャラクターが、とてもよく立っている、
ということに他ならないのですが、
つまりは「もっと長い時間をかけてみたい」魅力があるのに、
二時間に阻まれている感じがするのです。
たとえば…
・主人公の特殊能力のすごさの表現(とてもアナログ
・ヒロインの特殊能力の表現(いきなり出るので
・その他の親戚キャラの描写(もうちょいほしい!

そういう意味では、登場人物の少ない「時かけ」の方が、
まとまっていたなという感想ではあります。

作品の中枢にあるのは「ネットワーキング」で、
これがネット時代と前ネット時代両方を駆け抜けて表現されてます。
電子であろうとなかろうと、強力な力を持つのは
人と人のネットワーキングであるんだ、というところが、
ものすごく強く伝わってきます。
ほとんど説明もないので、映画から「大切なんだ」と
言われることはないのですが、たぶん作品中枢はそれ。

というわけで、とてもお勧めできます。
やっぱりいいね、和製アニメーション映画!と思える作品でした。

つぶやくつぶやく

2009/04/29

ラーメンズ 第16回公演 text

Filed under: 映像・ビデオ・DVD — ksk @ 10:00 PM

最近またあまりテレビで見なくなったラーメンズのDVD。
でももともとテレビにはあまり出てない人たちなので、
こうして時々映像作品やDVDを出していくのが、
この人たちのスタイルなんだろうなーと思う。

みた感想としては、ちょっと慣れてしまった感じ。
ラーメンズというユニット、もしくは小林賢太郎という演出者の
メソッドが少しずつ頭に入ってきてしまっているのか、
自分にとって新鮮味に欠けてしまっているのかもしれない。

が、もちろんその言葉の遊び方はまだまだ秀逸。
これが膨大な量の計算というか、試行によって成り立っていると思うと
なんだか頭の下がる思いではある。

過去と同じ形式の、二人なのに一人だけ喋るコントは、
もはやサービスのレベル。
片桐仁というキャラもやはり確立しているので、
好きな人にとってはうれしいのだと思う。

一つ一つのコントが長いせいか、
少しもっさりした感じ。これは最近の傾向かも。
こう考えると、自分はやはり初期作品集くらいの頃が
最も好きなのかも知れない。

…と書くと否定的な感じが否めないと思うのだけれど、
ラーメンズ的な演出というのは、
自分が目指してみたいところでもあるので、
きちんと分析して盗みたいのである。
慣習として確立してるルールと、
そこへのライトの当て方によって浮き彫りになる新奇性。
確立してそれを演出できるのはすごいと思う。

dvdとしては、ラーメンズを最初に見る作品としてはお勧めできない、かな?

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2009/03/20

「A」/森達也監督

Filed under: 映像・ビデオ・DVD — ksk @ 4:08 PM

先日の記事のネタとして使用したDVDの話をもう少し詳しく。

オウム真理教(現Aleph)の、特に広報副部長(当時)の荒木浩という
人物に焦点を置き、当時のメディアが持っていた「オウム批判」でもなく
かつ「オウム擁護」でもないフレームで当時のオウム真理教と
それを取り巻く環境を撮影した作品。135分くらい。

文庫版(タイトル同名、角川文庫)ではこの映画を補完するような情報、
特に監督自身のドキュメンタリー的な要素が入っており、
合わせて読むとよいのではないだろうか。

この作品が面白いのは、前回のエントリーでも書いているように
マスコミというメディアが不文律のように持っていた「反オウム」、
オウムを殺人者集団として扱う視点、
そしてその視点を持っているという前提で基づく警察公安、
カルトという観点を持ってしまった瞬間にこぼれおちるオウム真理教という
団体の持っている宗教としての性質、
それによって理解できる「信者」像。

これもまた一つのフレームであることを前置きした上で、
この作品が最初にテレビで放送させてもらえなかったこと、
公開後も各種メディアから「オウム擁護」という評価を受けたこと、
それもまた面白い。

この作品はメディアのことをやっているようで、
実は人間とその視点についてなのではないかと思う。
オウムではない人間とオウムの人間にはたしてどの程度の差があるのか。
無宗教は宗教のひとつではないと言い切れるか。

良くも悪くも、見る人を選ぶ作品だと思う。
その人の内部、依拠するスタンスが浮き彫りになりそうな作品。

ちなみに、12年前の話なので、現在荒木浩という人は
どうなっているんだろうと思って調べてみたら、
オウム関連人物の中で荒木浩という人だけwikipedia項目がなかった。
京都大学卒業、現在たぶん40歳くらい。
今もAlephの広報部長であるらしいことが森氏のウェブサイトから判った。

この荒木浩という人間のストーリーも面白く、
作中でだんだん、信仰と、広報としての立場の間で揺れを大きくする
氏は興味深い。なんというか、この人は信仰によって修行というよりも、
修行スタンスが前に来て、そこに信仰を乗っけている気がしたのだった。

そういえば、別の信者を映していた場面で、出家した理由が
「大学に入って、こんな人たちが将来の日本を背負うのかと思い、俗世を捨て出家」
という理由があり、少し申し訳なく思った。
マジョリティが一番「悪影響」を与える率も高いことは、
なるべく心に留めておかないと。

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2008/12/07

小林賢太郎プロデュース公演#5『TAKEOFF-ライト3兄弟-』

Filed under: 映像・ビデオ・DVD — ksk @ 11:12 AM

久しぶりにDVDを借りてきて見ました。
ラーメンズのモジャモジャじゃないほう、小林賢太郎氏の舞台。
たまたま出会った3人が、ライト兄弟の幻の図面を見つけ、
それを設計してみる…という話で、
話自体は考えてみると結構平凡。
ラストも取り立ててどんでん返しがあるわけじゃなく、
話は本当に平凡だと思う。

…が、それだけで終わらないのは氏ならではかな。
音楽、照明それぞれを上手にかみ合わせてあって、
そこに若干の観客参加要素も含めて、
普通のシナリオを爽快にしている感じ。
それぞれに違和感がないのは、テンションの移行が上手にいってるからかな。
これは、と思ったのは無音の瞬間。
どちらかというとハイテンションで続くあの舞台で、
一番のハイライトシーンはあそこなんでしょうね。

少人数と基本的なセットで何を表現するか、
判るように、伝わるように、どこに発想を持って行って何を使うか、
っていうことは、普段からできるようにならなきゃいけないプロセスだよなぁ。

つぶやくつぶやく

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