2010/09/03

Togetter「立ち読みって何が悪いの?」に対する感想

Filed under: コラム — ksk @ 8:36 PM

Togetterで立ち読みに関するお話がまとまってたのでみてきました。
Togetter-「立ち読みって何が悪いの?」

一読して感じたのは、J_ogawa氏とそれ以外の方々は、
全然かみ合わない話をしているということです。
なんでそうなってしまったかというと、そこにはJ_ogawa氏に
一手目のミスがあり「2週間かけて立ち読みしよう」という
周りからみて「インモラル」と取られた発言がスタートだったからです。
J_ogawa氏はその「諌め」に対して「本屋の販売システム」について展開しますが
それ以外の反応者は「現行システムに対するモラル」について展開します。
この間が埋まらないこと埋まらないこと。

僕のこの話を読む前に先ほどのtogetterのリンク先を読まれた場合、
J_ogawa氏が「痛い人」という印象を既に抱いてるかもしれませんが、
そーなるとこの先の僕の記事もモラルの話でしか見れなくなるかも。
先に述べておきますが、僕は立ち読みの是非に対してモラル的な答えを出しません。
そこに意味は殆どないと思うからです。

僕は僕のモラルが許すレベルで消費行動をします。
友人と本やゲームの貸し借りをします。
場合によってその内容をtweetしたり、blogに書いたりします。
これは人によってインモラルだろうし、容認レベルの場合もある。

モラルという側面から何かを議論する(あるいは何かを叩く)というのは、
最終的に本であるなら何ページまで許されるか、とか
そういう話になって行くと思います。
今回「1冊全部立ち読みする」がたまたま多くの人にとってインモラルな領域だった、
というだけの話に終始してしまうからです。
実際、上記のTogetterの中でもどこからインモラルかという境界は
確定しないまま話が進んでいます。

で、元のお話に戻ります。
現行の書店の販売システムは、
書店によりますが立ち読み可能なシステムです。
それはなぜか?という所ではたとえば購入者が目次を確認できる、とか
小説の最初の数段をみて興味を抱いたら買えるとか、
色々言えますが、単純に総括すると店舗側からしたら
「利益を最大化する行動」になるわけです。
その選択に対してフリーライダーが発生するのは、
そのフリーライダーも含めて計算をするより他にありません。
理由は個々の倫理判断にブレがあるからですね。

コンビニが雑誌を窓側に、立ち読み可能な状態で設置するのは
コンビニ内に客が居るという視覚的な要素によって
外を歩く人間を安心させ、購買に至らせる効果があるそうです。
ここではフリーライダーによる損失<視覚的効果によるアピール
と見積もられているわけで、
つまりカバーをかけないで本を販売する本屋は
利益最大化する選択として立ち読みを是としたわけです。

これはもちろん本屋や、同じ本屋でもその時々で変動します。
「あの本屋漫画にビニールかけるようになった」
「雑誌にひもかけられるようになったから立ち読みできない」
という変化は、本屋の増益にはその選択の方がよい、
と本屋が考えた結果だということですよね。

この時点で立ち読みは是非ではなく「可能」であり、
何をもってして過剰か過剰でないかは、
消費者一人ひとりによって分布が違います。
それを「常識/非常識」というラインで話を進めるのは、
「分布のどこに線を引こうか?そして引いた外側のやつを叩こう」
という話でしかなくなります。

J_ogawa氏は最初の発言に対するリプライの時点から、その発言の立場を
「(自分も含めた)消費者」というマスに設定しているように思われて、
そうなるともう「現状の販売システムで消費者がもつべきモラル」の話なんて意味がないです。
J_ogawa氏の論点は消費者(マス)と販売者(延長して作者まで)の
幸福最大化はいかにして成立するか、という「システム」の話になってます。
そして氏をここに至らしめたマジックワードは相手をした人物の中にあり、それが
「本屋にとって」「常識/非常識」というフレーズではないかと思います。

J_ogawa氏にモラルを説くなら
「『私は』あなたの行動が嫌いだ」
と言ってあげなきゃいけなかった。
一般論をかさに着た発言じゃ意味がないんです。

…というわけで、そう踏まえて最初からtogetterを読んでいただくと
いかに両者の論点が重ならないまま話が進んでいるか、
ちょっと判っていただけるかなと思います。
視点が違うから話にならなかったというお話でした。
でもこういう行動が「大衆」の性質なんでしょうね。
なんだか欧米の文化侵略みたい。

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2010/08/19

カギは、コストの低下

Filed under: コラム — ksk @ 7:48 PM

ニュー速VIPブログの管理人さんが違法コピーに対して
怒りの記事を書いておられた
ことを
2083管理人のだよタンのtwitterから知りました。

ニュー速VIPの管理人さんの意見には半分同意、半分反対。
そしてさらにこの元記事となった黒執事の作者さんに対しては
違う方面からの話をすることになります。

まずニュー速VIP管理人さんの主張が正しいと思う点は
「この世は基本、アホな人達で構成されている」という点で、
こういうと言い方がきついのと、後に繋がらなくなるので
もう少しソフト化させてもらうと、「受け手は供給方法について無自覚」
であって当然であるということです。
テレビから流れるか、youtubeから流れるか、
はたまたp2pでコピー受け取るかについて
「テレビの頃はモラルがあった」のではなく
「テレビしか選択肢がなかったからテレビから見てた」
ということだ、という点ですね。

逆に反対したいところは、この問題が、
違法コピー動画試聴に対する罰則強化、法規制によっては
根本的な解決を見ないという点です。
暫定的な解決方法の一つとしてはあり得ますが、
現状の社会状況と照らし合わせて長期的に良い手段とは思えない。

余談をひとつ。学生時代に就職活動で某社さんを受験した時、
最終面接で対応頂いた方が「P2Pはけしからん、利用する人はおかしい」と
しきりに述べてらっしゃいまして、僕はふむふむそうですねと
同意していたのですが、結果は不採用で。
その某社さんは現在有数の動画サイトなのですが、
なるほど、あそこは反論しなきゃいけないところだったのだな、
と後から振り返って思った事がありました。

…書いた事があっただろうか…

さて、僕が主張したいことの大筋は以下です。
・コンテンツ供給は作り手と受け手の満足最大化を目指すべき
・現在の社会が複製と流通に対していかにローコストか考えるべき
・法律は世相に応じて規制の強弱ではなく、根本を変えるべき
ではいってみましょう。

1:コンテンツ供給は作り手と受け手の満足最大化を目指すべき
難しい事ないと思います。みんな幸せが一番いいね、ということです。
でもここで一つだけ除外されている対象があります。
それは「流通させている人」です。

2:現在の社会が複製と流通に対していかにローコストか考えるべき
過去、VHSしかなかった頃、動画の複製には2台のデッキとVHSテープいう投資、
得られるものは画質劣化したコピー、送れるのは1つ、という状況に対して
現在は動画の複製は個人でも簡単に行い、ネットワーク送信する事ができます。
個人でも簡単にできるということは、企業でも(もっと)簡単にできるということ。
デジタルとネットワークによって、コンテンツの複製はすっごく楽です。

1+2:導き出される幸福最大化モデルは、既存流通に対する痛みを伴う
黒執事の作者さんの嘆きは「動画試聴に対する対価が支払われる事」によって解消します。
これを違法動画取り締まりという方法によって対応するのが非現実的。
なぜなら複製と流通はネットとデジタルによりギリギリまでローコスト化しているからです。
複製と流通がローコスト化しているということは、
複製屋さんと流通屋さんの仕事の価値が相対的に低下しているということ。
必要なのは複製屋さんと流通屋さんの仕事の維持ではなく、
「どういった形であれ、見ることによって対価が得られる」システム。
たとえば、youtubeやニコニコ動画で最高画質の公式動画が提供され、
動画のビュー数に応じて広告収入から作者に対価が支払われること。
たとえば、cmが作品中に埋め込まれる事でcmの試聴数を維持すること。
それによってこれまでのテレビ屋さんの仕事は減るかもしれませんが、
こちらの方がずっと現実的だと思うのです。
「youtubeで見ました!」「ありがとう!」という応酬が出来れば、
それが一番ではないでしょうか。

3:法律は世相に応じて規制の強弱ではなく、根本を変えるべき
僕はコピー容認と法律を変えてしまってもいいと、極端ではありますが思います。
それは上記のようなブレイクスルーを起こすために、
こちら側のアクションもまた可能ではないかと思うためです。

2+3:情報の値段の見直し
CD-Rって一枚あたり、ケースつけて20円くらいで買えると思います。
音楽データ80分あたりの原価が20円です。
ジャケットとブックレットつけて1000枚刷ったとして?150円/枚くらい。
アルバムだと2500円位ってことは、上乗せされてる金額は2350円。
これが適正なのかどうか考えるっていうことは、
間に乗っかっているマージンを考えるっていうことで。

ネット以前の時代では、沢山の人に受けて貰えるために
それだけのマージンが必要だったのだと思います。
が、今がそうかというと、そうではない。
場合によってはCDすら要らない。コピーだけなら無尽蔵にできる。
そこでやりとりされる情報の値段とは一体いくらが適正なのか。
そこでやりとりされる情報に対してマージンとしてぶら下がる権益は
はたしてどの程度が妥当なのか。

…と、いうことを考えなきゃいけないと思うのです。

以上の事を再度まとめ直しますと
・作り手と受け手の満足最大化を目標点にすべきじゃないの?
 →規制ではなく容認によって満足最大化が目指せるならそちらにすべきでは?
  →この考えに基づく時、流通と複製は痛みを被るけど、コスト低下してるからしょうがないよね
  →この考えに基づく時、どんな形であれ試聴されることによって利益が発生する方法が必要だね
   →たとえば、ビュー数に対して確実に利益が支払われるか、作品と広告が不可分になる方式

…ということです。
技術革新はコストを下げるんだから、
それに合わせて法や規範が変わるべきではないかな、このケースは。

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2010/08/04

メモ:キャラクタとストーリー制作について

Filed under: コラム — ksk @ 7:58 PM

手塚先生の作品を読んだときに、
最近継続して購入していた藤子F不二雄全集と比較してふっと思った事をメモ。

■藤子F先生
・基本
 藤子先生は「教育」の視点が先に立つイメージ。
 ドラえもん劇場版に代表されるように、学術的テーマ、科学テーマを砕いて
 ストーリーを仕立てることもある。
 基本的な連載では「日常社会に住む特異な主人公」を描く。

・キャラクター造形(主人公)
 超能力系キャラ(パーマンとかエスパー魔実とか)
 平凡系キャラ+サポートキャラ(のび太/ドラえもんとか)
 周囲との視点のギャップを感じることはあっても、目的遂行に対しては悩まない。
 主人公の立場は一貫している。

・キャラクター造形(主人公以外)
 主人公の持つ特異者としての視点を持っていない「常識人」が
 主人公に何らかの影響を与える。
 また、読者は主人公に自己を投影する仕組みになってると思われる。
 (のび太の焦燥を理解しないのび太のママに対する読者の苛立ち等)
 主人公と他者の対立はあまり起こらない。起こっても決別には至らない
 主人公は問題解決するときはあくまでも理解者と共に行う。もしくは単独。

・SF要素
 日常世界に入り込み、日常世界を拡張するものが多い。
 (ひみつ道具/超能力/発明/幽霊等)
 また拡張する機能を使えるのは基本的に主人公とそれに近いもの限定

・まとめ
 藤子先生の物語は、概して社会を巻き込まない。
 もしくは、社会そのものが設定にならない。
 あくまで小グループが一時的に異世界に接触するか、
 大規模な社会に影響しない範囲でおおごとに取り組み解決する物語。

■手塚先生
・基本
 手塚先生はファンタジーを描く。
 要素として実在の物が入る場合はある(ブラックジャック等)が、
 必ずしも教育や知識として吸収される事を意図しない。

・キャラクター造形(主人公)
 境界型主人公が多い。
 異なる2つのアイデンティティの間で揺れ動く。
 人間と人間ではないものの間(火の鳥等)
 健常者と病人の間(ブラックジャック)
 種族間対立(他もろもろ)
 

・キャラクター造形(主人公以外)
 主人公が関わる2勢力のどちらかの立場で設定されることが多い。
 が、その勢力どちらにも属するか、もしくは近しいキャラに敵方の立場を置く。
 主人公はそれに対して悩むリアクションをとるタイプ、
 目的に対して忠実なタイプ、2勢力の融和を図るタイプなど。
 キャラクターの絵柄としての個性は氏のまんが記号論に即してシンプル。

・SF要素
 世界全体が要素を持っている。火の鳥のように壮大な物、
 もしくはブラックジャックのように比較的小規模なものもあるが、
 全体として関連する全員が物語に強く関わる。
 事態に対して無知なものはモブキャラとしてしか参加しない。
 藤子先生のように「のび太のママ」で居られるキャラは少ない。

・まとめ
 手塚先生の作品は、主人公の立場がダイナミックに移動する。
 もしくは主人公に対して全体がダイナミックに移動する。
 漫画世界の中の社会を巻き込んで物語が展開するのであり、
 立場の移動によってドラマを展開する。

藤子A先生の方はあまり読んでないんですよね。
あと、石ノ森先生とかも読んでみたいなぁ。

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2010/07/09

読まず騒ぎ

Filed under: コラム — ksk @ 11:20 PM

各種の法律に基づく裁判が行われた際に、
即物的に結果だけ見て騒ぐ人がmixiニュースとか見て結構多い印象なんですが、
条文を読んでないんじゃないのって思うケースがいっぱい。

たとえば。

■製造物責任法(PL法)
 →損害賠償で企業から沢山金貰うなんてゴネ得だろう

(目的)
第一条  この法律は、製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が生じた場合における製造業者等の損害賠償の責任について定めることにより、被害者の保護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。

→損害賠償で損得が生まれるのは企業に社会責任を負わせる副次的結果では?

■少年法
 →年齢低いっていうだけで少年法で保護されるなんておかしい

(この法律の目的)第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

→特に「環境の調整に関する保護処分」に注目。
 少年犯罪を起こす少年は、生育環境に問題があるケースが多い。

■売春防止法・児童買春(中略))法
 →売った方はなんで罰せられないの

(目的)
第一条 この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによつて、売春の防止を図ることを目的とする。

(目的)
第一条  この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、あわせて児童の権利の擁護に関する国際的動向を踏まえ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。

 →少年法に概ね同じ。

——————————————–
他にもあるんだけど、細かいところに行きそうだったのでこのへんで。
基本的に法律って個人を相手にしてないところがあって、
だから見る側も自分の溜飲がどうこうというところとは
別の所から意見すべきだと思うんですけれど。

でもmixiニュースとかのコメント見てると、
脊髄反射的なコメントはすっごい沢山あって、
それって「俺は怒ってるんだよだっておかしいだろ」くらいのレベルの
個人の溜飲がどうのこうのっていう意見が多くて
そういうのに「総意」が引きずられていくと
現代社会とか民主主義ってなんなのって思ってしまう。

逆に言うと、現場で働いている人たちはそんな意見は
どうとも思っていないんだろうけれど。
条文読むだけでも「この法律の目的それじゃないから」
って言えちゃうケースが多い中、いかに結果だけ見て
他を見ない人の多いことか。言うだけは気楽だからいいよね。

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2010/07/06

就職に関する構造的問題

Filed under: コラム — ksk @ 7:43 PM

大学生の何人だかに1人が内定が無いんだとか。
あやふやなのは、調べたら数値が色々出てきたからです。
ただひとまず、10人に1人よりかは多いみたいですね。

僕が働くのが嫌いだからというバイアスはあると思いますが、
日本の労使慣行は全体的に現状に合ってないと思います。
その中で特に声高に訴えたいのは
「もう労働は喜びでもなんでもない」ということ。
既に経済成長が頭打ちになっている今、
働くと言うことは多くの人にとって喜びではなく、
苦痛と引き換えに食べる糧を得るだけのものになっています。

が、それで労働を短時間化したり、流動化すると今度は
「フルタイム・正規雇用を前提とした社会保障制度」
とぶつかります。これによって
「フルタイム・正規雇用じゃないとまともに暮らせない」
「派遣・非常勤の契約を打ち切られたらおしまい」
という感覚が生み出されます。

この状況は、求められている労働者数が減ってたり、
会社が払えるお金が少ない時には労働者が割りを食う仕組みで、
「みんな大変だから、皆で仕事を分けて収入少ないのは我慢しよう」とか
「今は仕事も少ないし、働きやすくなるまでのんびりしよう」とか、
そういう考えに結びつきにくい。一度手放すと生きていけないから。
実際に生きていけないかというよりも、全体として
「生きていけないような感じがする」現状があるというのが問題。

つまり、働き方は多様化しているよ!というはずなのに、
ずーーーーっと前時代的な労働状況のままなのです。
前時代的な労働意識と、前時代的な社会保障がセットになって
現代に合った状況を作るのを阻み続けている。
その枠組みからこぼれた人を「能力が低い」と言い続けてる。

更に悪いのは、その労働意識がモラル化しちゃってること。
働いてないといけないような感じ、ニート批判、
正規雇用じゃないのは本人の能力が低いから、
そういう言説がこの明らかに破綻している前時代的な意識を延命させてます。

好きなことを仕事にして楽しく働く、なんてのは幻想で、
もうその楽しく働けるはずだった好きな仕事で
十分な対価が得られる可能性が低いですし、
もっと労働していない時間に光を当てるべきだと思います。
ワークライフバランスじゃなくて、ライフあってのワークなのです。

そうすると何がいいって、物を生み出すのが好きな人は
もっと自主的に何か活動をするようになる。
仕事しなきゃいけないという意識から離れることによって
社会が豊かになるんです。

…と、フルタイムで正規雇用で働いている自分が言っても
説得力はないかもしれないですけれど。
でも自分の感覚としては、日本国民は集団でお互いを労働に縛りつけて、
採用活動(労・使ともに)で時間を擦り減らしてるようにしか見えない。
それって、経済的損失もともかく、社会的損失が多大ではないですか。

具体的施策というと難しいですが、
たとえばセーフティーネットの拡大(ベーシックインカムに近い?)
家族型補償の廃止(扶養控除とかそういうのをやめて各個人に回す)
政府型の最低限保障に民間企業保険を任意で乗せる
…とか、色々あるんじゃないかなと思います。

ニート、フリーター「対策」はニートとフリーターを
正規雇用にするという、その元の経済的・精神的コストの出所を
無視した対策になっているわけで、
ニートやフリーターと正規雇用者が自由にお互いの立場を
行き来できるような社会を目指さなきゃいけないと思うんですよ。

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2010/07/03

読む前メモ:非実在青少年について

Filed under: コラム — ksk @ 12:41 AM

『非実在青少年論―オタクと資本主義―』鏡裕之/愛育社
を買ってきたので、読む前に現状の思考をメモっておきます。

■総論
「問題だ」と叫ぶことによって、
政治的な面で得をする人たちがいて、
その人たちが問題を作り上げて、
それによって割を食う人たちが反対をしている
「青少年を置いてけぼりにした」議論だと思います。

■各論
・非実在青少年議論について…
実はあまり案とかも読みこんでいるわけではないので、
現状は「この界隈のおおまかな話に対する印象」
レベルの事になってしまう。単純に勉強不足です。ごめんなさい。

・現状について
非実在青少年という年齢層に関わらず、性的描写はすごく増えてる印象。
街中でセックスとか、そういう単語を見る事が珍しくなくなった。
ニコ動とかのランキングでもそういう文面を見ることは多いような……
でも、きちんと経年で比較してないからあまり意味がないかも。

・性的描写が増えている中での青少年について
特に大きな動きはない印象。
問題になるような作品を発表するのは大人だけど、
しかしそれで実在する青少年が性の対象になる率が
変動しているわけではないと思う。
これも実際の数値を見たほうがいいかもしれない。

つまり、非実在青少年の性描写を規制するということは、
そのメディアを見て起こされる性衝動によって
「実在の青少年が性的被害を被ること」を防ぐ事にあるわけだけど、
はたしてそこまでここ数年のサイクルで青少年が
被害を受けるというケースが増えていただろうか?という事ですね。

・暗数問題
「明るみに出ていないケースがある」というお話。
全ての犯罪に共通することなのだけれど、
社会的な数値としての被害者は結局、
どれだけ社会が認知できたかという数値でしかないので、
その数値の増減はあてにならないというお話。
(学校でいじめの数値を毎年計らせると、
 微減していくんだって。先生たちが実績を落とさないために
 校内のいじめを認知しないからですね。)
これは規制派にも都合がいいんだよね…

・ニュース
視聴率戦争・劇場化が進んでる気がするので、
こういう美味しそうな話題はとびつきそう。
で、規制派にしておいたほうが社会的に叩かれにくい…
問題だ問題だと言うことで、実際に問題かどうかを隠しながら
問題化することができる最大のツール。

・効果
多分ないと思うのです。
ニアリーイコールゼロ。しかし反対したいのは
「エロマンガ規制したら犯罪が増えるぞ」という言論で、
それは根拠がないと思うので、規制反対派の議論としては
使わない方がいいんじゃないかなー、と思います。
文面も脅迫に近いし。

・誰の得になるか
「モラル」を盾にすると反撃が少ないと思うのです。
今回こそ「表現の規制」という反撃がギリギリ成り立っているけど、
インモラルなものに対する規制を政治的な面で喧伝するのって
どーも、嫌なんですよね。政治的な人気取りっぽくて。
これは僕の個人的な感情すぎますね。

・表現は規制されるか
直接的な表現を書かない/書けないだけで、
あんまり大きな影響はないんじゃないかと思います。
中世の頃に訓示の名を借りて裸体が描かれたのと一緒ですね。

・ゾーニングについて
「ゾーニングしろ」とは言うけれど、
でもその具体的な方法があまり示されてないですね。
コンビニ規制とか、ネット規制になっちゃうんじゃないのかな…
これはもう少し規制反対派が責任をもつべき話の気がする。

・教育
規制論は、青少年の健全な育成、のようで
実は無菌室に閉じ込めているだけでは、ということで、
毒に対して教育を出来る人が減るのではないでしょうか。
これはたとえ現実に犯罪が起こったとしても同じことで、
「これはやっちゃいかんのよ」と「事前事後に」対応できるか、
ということを追求していった方が効果は高い気がします。
究極を言うと、規制してもしなくても犯罪は起こるんですよね。
で、その数値が規制の有無だけでは変わらんのではと。
そうなると、「性教育」の(動因はネガティブだが)機会が減るのは
相対的に見るとマイナスでないかい?と…。

というわけで、読み終わったらもう一回書きます。

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2010/06/19

就職は本当に氷河か

Filed under: コラム — ksk @ 12:48 AM

結構前から就職は氷河期と言われておりますが、
なるほど確かにしんどいみたいです。
僕は就職の状況が良くても内定に至らなかったマジキチなので、
こういう話をするのはどうかなと思うのですが。

企業の担当者も大変みたいです。
募集枠は同じくらいなのに、
例年の倍くらいの応募者が来ていて、
結果的に一枚一枚の履歴書にかける時間が減ると。

つまり状況的には、
就職活動者は活動期間も長く、活動回数も多くなるわけで、
それだけかけるコストが増しますね。その分大学生であれば勉強、
一般であれば能力を伸ばす活動やその他の活動は減少、
社会的(≠経済的)な機会の損失を被っています。

で、事業者はといえばこちらもヒィヒィで、
オープンに募集しているとそれだけ応募者が増えるし、
上記に書いたように一人当たりにかける時間が短くなる。
いい就職希望者を探すのが大変になる。

この状況下で、一番オイシイのがリクルートをはじめとする
就職ビジネスの会社ですね。
企業も就職活動者も必死になれば、それだけ利益が回ってくる。
「就職氷河期」と煽って、大量のミスマッチを作って、
でもなおオイシイっていう。

とはいえ、内部の事は判らないので、
また他の事情があるのかもしれないですけれど、ね。

実際にこうして就職活動斡旋ビジネスが間に挟まることと、
インターネットで簡単に応募が可能になったことで、
機会は拡張したかもしれないのですが、
しかしミスマッチが不用意に増えすぎてもいます。
バランスが悪い、というか。

仮に、過去のようにハガキやコネクション等で
1件ずつ就職活動をするようにしたら、
意外と氷河期みたいな状況はないんじゃないかなー、
なんて思っていたりもします。どうだろうな。

つぶやくつぶやく

2010/06/05

文化自己中

Filed under: コラム — ksk @ 9:54 AM

中東あたりでは、レイプされた側が死刑になる国があります。
…というとちょっと野蛮な感じで怖いんですが、
つまりは男性側の証言が重視される、
または女性の社会的地位が低いという事です。

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/

これは「正すべき」でしょうか。
つまり「先進国」でとられているような男女平等体制にするために
「他国からの働きかけ」によって「近代的」な社会にするために
中東某国の男女間の不平等は是正されるべきでしょうか。
このへん、感想を見ると「不条理」とか「日本では考えられない」
とか出てくるんです。否定的な意見ですね。

じゃあ、イルカ漁は野蛮だから禁止されるべきでしょうか。
っていうと、こっちは文化だから批判されるいわれはないって
反対する声が出てくる。ダブルスタンダードなんですよね。

その国にはその文化があり、その文化によって安定している、
っていう背景があるのは当然なんですが、
どうしても判断の中心軸が自国文化になる。
ということは、他の文化を主観的にしか見れなくなる。

このダブルスタンダードそのものが
文化性が存在する事そのものの機能であるとは思うのです。
が、でもやっぱり自己中だよね。
自分の所の文化は伝統で、他人のところの文化は野蛮だ直せってのは。

そりゃあ、その文化性の差異によって経済的・身体的・精神的に
他国から被害をこうむるケースとかもあると思うけど、
でもその時に野蛮だとか伝統だとかっていう上下関係からじゃあ
そもそもの立場が違うんだから喧嘩にしかならないわけで、
「よろしい、ならば戦争だ」ってなっちゃうわけで。

「相手の立場に立って考える」っていう、
ごくごく基本的なことなんですけれどね。

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2010/06/03

どうにもならないこのきもち

Filed under: コラム — ksk @ 10:03 PM

首相が退陣しましたね。今更書いちゃうけど。

日本で首相退陣の度に思う事が二つくらいあります。
・退陣によって得をするカテゴリの人が居るだろうか?
・日本の政治は本当に首相で変わるのだろうか?
ということです。

・退陣によって得をするカテゴリの人が居るだろうか?
退陣だとどうか判らないのですが、一時的にマスコミ業はにぎわいそう。
解散総選挙となると、選挙の際にかなりのお金が動くと考えられます。
たとえば、あのポスターとか貼ってる板、すごい高価だって
はるか昔のTVタックルで見た気がします。
そういう「退陣/解散利権」ってどっかにあるんじゃないのかなぁ。
あるとしたら、そのたびに美味しいから煽るよね、きっと。

・日本の政治は本当に首相で変わるのだろうか?
最近ようやく「官僚主導の政治」とかって話が
ちょこちょこ出るようにはなっていますが、それでも「官僚」と
カテゴリで話されている以上、まだまだ曖昧な存在だと思うのです。
それに対して「首相」は必ず名前をもった個人であり、
つまり何かとスケープゴートになりやすいだろうなと思うのです。

「こんな国にしたのはどこの政党か」というフレーズが
面白かった時期もありましたが、しかし政権交代した結果も
結局よくなった感は生まれていない様で、
はてさて、他の政党がまた台頭したとして、
「既に走りだしちゃってる日本の政治」って、
どうにか出来るレベルのものなのでしょうか?

…ということを、いつも考えます。
考えている内に、段々自分の位置からでは情報を全部得ることは
難しいという条件から、政治や政治報道に対する
「見る人」の感情のダイナミズムばっかり見るようになってきた。
結局、一般大衆にとって、政治はフィクションドラマみたいなものの
域を超えられないのだろうか……。

つぶやくつぶやく

2010/05/31

正義感という過ち

Filed under: コラム — ksk @ 8:35 AM

友人の日記で見たmixiコミュニティの「オーケストラ」を見ました。
なんだか、高校生くらいの人が自分を指揮者にしたオケを立ち上げようとして、

・高校生ってmixiではコミュニティに参加できない
・バックボーン何もなしに指揮者は考えられない

…とかとか、そういう色んな事のもとに批判を受ける、
っていう状況になってます。
内容については書いてもしょうがないと思うので記述いたしません。

一般的な匿名性のある2chや
ブログのコメント欄のような荒れ方はしてません。
が、トピックス全体としての文字量に対して、
展開されている内容の客観的な情報の価値はとても小さい。

以前、こういう非匿名性ウェブサイトの
管理業務をしていたんですが、
当該トピックスのように、それぞれが思った事を
書いていく方法になってしまうと、もう中身の文章とかそういうのは
たとえそれ単体がどんなに意味を内包していたとしても、
トピックス全体で見て価値は極端に小さくなります。

トピックスが実質的な意味で「このオケの立ち上げが絶望的」
という段階に来ているにも関わらず、
また規約関係と思われるトピックス主の退場にも関わらず
このトピックスは書き込みの応酬が続いてるわけです。
それを動かしている一つの非常に厄介なものに「正義感」
みたいな一見プラスの動機があります。

「正義感」は人が厄介な行動をする場合に
背中を後押しする最強の感情です。
なぜなら動機の根っこがプラスの感情だから、
理由づけとして非常に強固なんです。
「正義感でやってる自分が間違ってるわけない」
と考えるとは言わずとも、「自分が行動する必要があるか?」の
思考を停止させる最強の要因になります。

トピックス全体をコミュニケーションそのものというよりも
一つの情報として見ると、同じ話が繰り返されるのは意味がないです。
Aさんの「私はこう思います」という発言があったとしたら
Bさんの「私もAさんと同じく、こう思います」という発言は意味が小さい。
だってもう出てるから。BさんがAさんと同じ事書いても意味がない。
トピックスのノイズが増すだけです。

それに加えて、着地点はどこか?
という設定がそもそもなされないから、
個々の正義感により肥大した書き込みの欲求だけが
際限なく発揮されることになります。
だからもうトピックスとしては一巡してるのに
いつまでも延長戦が続いちゃう。

管理的な感覚で言うと、こういうときに
トピックスを主催しようとした人物が消えた時点で
早急に停止もしくは中心話題の設定をしたほうが
よかったのだと思います。

このような事は、年齢・ジャンルに関わらず、
こういう形式のコミュニケーションでよくよく発生するんですが、
防ぐ事は難しいのでしょうかね。
情報教育を早期でやっておかないとだめかな。

「俺が正しい俺が俺が」をやめるだけでも
随分違ってくるんですけどね。

そういえば内容自体には触れてないや。
書き込み者のHNの中によく知ってる人と同じものがあって
一瞬びっくりしたけど他人だったというくらいでした。

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