Togetter「立ち読みって何が悪いの?」に対する感想
Togetterで立ち読みに関するお話がまとまってたのでみてきました。
Togetter-「立ち読みって何が悪いの?」
一読して感じたのは、J_ogawa氏とそれ以外の方々は、
全然かみ合わない話をしているということです。
なんでそうなってしまったかというと、そこにはJ_ogawa氏に
一手目のミスがあり「2週間かけて立ち読みしよう」という
周りからみて「インモラル」と取られた発言がスタートだったからです。
J_ogawa氏はその「諌め」に対して「本屋の販売システム」について展開しますが
それ以外の反応者は「現行システムに対するモラル」について展開します。
この間が埋まらないこと埋まらないこと。
僕のこの話を読む前に先ほどのtogetterのリンク先を読まれた場合、
J_ogawa氏が「痛い人」という印象を既に抱いてるかもしれませんが、
そーなるとこの先の僕の記事もモラルの話でしか見れなくなるかも。
先に述べておきますが、僕は立ち読みの是非に対してモラル的な答えを出しません。
そこに意味は殆どないと思うからです。
僕は僕のモラルが許すレベルで消費行動をします。
友人と本やゲームの貸し借りをします。
場合によってその内容をtweetしたり、blogに書いたりします。
これは人によってインモラルだろうし、容認レベルの場合もある。
モラルという側面から何かを議論する(あるいは何かを叩く)というのは、
最終的に本であるなら何ページまで許されるか、とか
そういう話になって行くと思います。
今回「1冊全部立ち読みする」がたまたま多くの人にとってインモラルな領域だった、
というだけの話に終始してしまうからです。
実際、上記のTogetterの中でもどこからインモラルかという境界は
確定しないまま話が進んでいます。
で、元のお話に戻ります。
現行の書店の販売システムは、
書店によりますが立ち読み可能なシステムです。
それはなぜか?という所ではたとえば購入者が目次を確認できる、とか
小説の最初の数段をみて興味を抱いたら買えるとか、
色々言えますが、単純に総括すると店舗側からしたら
「利益を最大化する行動」になるわけです。
その選択に対してフリーライダーが発生するのは、
そのフリーライダーも含めて計算をするより他にありません。
理由は個々の倫理判断にブレがあるからですね。
コンビニが雑誌を窓側に、立ち読み可能な状態で設置するのは
コンビニ内に客が居るという視覚的な要素によって
外を歩く人間を安心させ、購買に至らせる効果があるそうです。
ここではフリーライダーによる損失<視覚的効果によるアピール
と見積もられているわけで、
つまりカバーをかけないで本を販売する本屋は
利益最大化する選択として立ち読みを是としたわけです。
これはもちろん本屋や、同じ本屋でもその時々で変動します。
「あの本屋漫画にビニールかけるようになった」
「雑誌にひもかけられるようになったから立ち読みできない」
という変化は、本屋の増益にはその選択の方がよい、
と本屋が考えた結果だということですよね。
この時点で立ち読みは是非ではなく「可能」であり、
何をもってして過剰か過剰でないかは、
消費者一人ひとりによって分布が違います。
それを「常識/非常識」というラインで話を進めるのは、
「分布のどこに線を引こうか?そして引いた外側のやつを叩こう」
という話でしかなくなります。
J_ogawa氏は最初の発言に対するリプライの時点から、その発言の立場を
「(自分も含めた)消費者」というマスに設定しているように思われて、
そうなるともう「現状の販売システムで消費者がもつべきモラル」の話なんて意味がないです。
J_ogawa氏の論点は消費者(マス)と販売者(延長して作者まで)の
幸福最大化はいかにして成立するか、という「システム」の話になってます。
そして氏をここに至らしめたマジックワードは相手をした人物の中にあり、それが
「本屋にとって」「常識/非常識」というフレーズではないかと思います。
J_ogawa氏にモラルを説くなら
「『私は』あなたの行動が嫌いだ」
と言ってあげなきゃいけなかった。
一般論をかさに着た発言じゃ意味がないんです。
…というわけで、そう踏まえて最初からtogetterを読んでいただくと
いかに両者の論点が重ならないまま話が進んでいるか、
ちょっと判っていただけるかなと思います。
視点が違うから話にならなかったというお話でした。
でもこういう行動が「大衆」の性質なんでしょうね。
なんだか欧米の文化侵略みたい。
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