バッツとボコは山岳地帯を北上していた。ボコの強靭な脚は隕石の影響で複雑に隆起した地面を難なく駆けていく。しかしその足取りはいつになく乱暴だった。バッツは激しく揺さぶられ、必死でボコの首にしがみついていた。ボコはバッツを振り落とすかの如く身体を左右に振り、疾走していた。
「ボコッ!」
たまらずバッツが叫んだとき、ボコは急にブレーキをかけ立ち止った。反動でバッツはボコから振りおろされ、受け身はしたものの地面にしこたま体を打ちつけた。
「いててて……ボコ、急に止まるなよ!」
バッツはボコに言ったが、当のボコは悪びれる様子もなく、逆に威圧的な目でバッツを見下ろしていた。バッツは負けじと主人の貫録を見せつけるようにボコを睨みつける。
「なんだよその目は」
バッツが言うと、ボコは怒ったようにクエエッといななきながら羽をばたつかせた。そのしぐさから、バッツはボコが何を言いたいのかを悟った。バッツは大きく息を吐いて、遠くの空を見た。
「……じいさんに、女の子だもんな。」
ボコはバッツがガラフとレナと別れたのを見ていた。付近はゴブリンによる盗賊被害の多発地帯である。旅慣れた者でも警戒するこの山岳地帯で、老人と女性の二人旅は危険すぎた。それはバッツも十分承知していた。
それでもバッツが二人と別れることを選択したのは、自身の内部にある妙な不安感の為だった。隕石が降ってきた瞬間にバッツの中に根付き、今もずっと残っている妙な不安感。バッツは心のどこかで危険の匂いを察知していた。あの得体の知れない二人と別れることによって不安が消えたならば、不安の原因はあの二人と考えることができると思っていたのだ。
しかしその選択とは裏腹に、バッツの不安は二人と別れたあと、さらに大きくなった。だからバッツは二人が向かうと言っていた風の神殿を求め、ボコを駆っていたのだった。
「わかったよ、ボコ。さっきの二人を探そう。」
バッツがそう宣言したのを聞いて、ボコの目が嬉しそうに輝いた瞬間、遠くで地響きのような音がした。そして同時に、さっきの二人のかすかな悲鳴をバッツの耳は捉えていた。バッツはボコと顔を見合わせると、大きく頷いてボコの背にのり、音のした方へ駆けて行った。
程なくして、バッツは前方に二人の人影を捉えた。服装から見てガラフとレナであるのは間違いない。二人は地面に倒れたまま動かなかった。バッツは舌打ちし、さらにボコにスピードを出すよう求めた。その時、バッツの視界の端で黒いものが動いた。
「ギィッ!!」
ゴブリン達が崖の上から飛び出してきていた。獲物を横取りされまいと、バッツに飛びかかる。バッツはそれを上体の動きでかわすと、まず先にレナ達のところへ急いだ。ボコから飛び降り、ボコに自分の背後を任せ、バッツは二人の容態を確認する。二人は気絶しているようだったが、頬を叩くと反応があった。どうやらゴブリンの仕掛けた何らかの罠にはまってしまったようだ。
二人の命に別状がないことを確認すると、バッツは辺りを見回した。4体のゴブリンが辺りを囲んでいた。バッツはボコと目配せし倒れている二人を守るように陣取り、腰の剣を抜いた。
レナは意識を取り戻すと、はっとして起き上がり辺りを見回した。レナの記憶は頭上の崖が崩れたところで途切れていた。今見ている景色は、記憶が途切れた瞬間とは違うものだった。どうやら、周りに危険はないらしい。何が起こったのかレナには判らなかったが、自分が命を失っていないことに感謝した。隣にはガラフが倒れていた。ガラフの胸は静かに上下しており、生きていることが判るとレナは小さく息をついた。
「よう」
頭上から声が聞こえ、レナはそちらを見た。逆光でよく見えないが、大岩の上に人影があった。人影は岩から飛び降りると、レナに駆け寄った。少し遅れて、ボコがばさばさと羽を散らしながら降りてきた。
「バッツ!!」
バッツの姿を見て、レナはここまでに何があったかを理解した。
「ごめんなさい。」
二度も命を助けてくれた恩人に、レナは深々と頭を下げた。
「おいおい、よせよ」
バッツは笑いながら両手を振った。それからバッツは反対側に向き直ると、遠くを指差した。山の向こうに塔や建物の屋根が見えた。レナたちが目指していた風の神殿へ向かう道の途中に位置する街、トゥールのものだろう。
「隕石が落ちた時のショックであちこち崖崩れや地割れがおきてる。トゥールに通じていた道も塞がっちまってた……」
バッツはそう言って肩をすくめた。
「それでも私は、風の神殿に行かないと……」
レナはそう言って、胸の前でぎゅっとこぶしを固めた。バッツは一瞬、その強く、気高いまなざしに見とれた。
「う……」
うめき声がして、バッツとレナはガラフの方に向き直った。ガラフは何やら苦しそうに胸を掻いている。
「風の神殿に……急がなくては……」
無意識のまま、呻くようにガラフはつぶやいた。
「このじいさんも、風の神殿か……」
バッツは溜息をついた。そのまま少し、バッツは目を閉じて考えた。まぶたの裏に浮かぶのは、父の姿だった。
バッツの父、ドルガン・クラウザーは旅人だった。しょっちゅう家を空けては、数か月から一年の後にふらりと帰ってきた。それゆえ、バッツの幼いころの記憶に父の姿はほとんどなかった。バッツの母ステラは、厳しい父と優しい母の役割を両立したいい母親だった。
バッツが物心つくころ、帰宅していたドルガンと、幼いバッツの前で母は逝った。病気だった。母は最期に二人を笑顔で見つめ「愛している」と言った。母の墓の前で、父は懺悔するように両手を固く結んで静かに泣いていた。まだ死の意味すら良く分かっていなかったバッツはどうしていいか判らず、母の不在にただただ声をあげて泣いていた。
現在から三年前、ドルガンが亡くなるまでバッツはドルガンと共に旅をした。ドルガンはバッツに生き残るための知恵を教えた。父とは度々対立することもあったが、年に一度は必ず母の墓参りに故郷へ戻り「仲良くやっている」と報告した。
三年前、ドルガンは亡くなる前に、バッツに「世界を旅して見て回れ」と伝えた。父はいつも何かを探していた。何かを恐れているようにも見えた。父が何を求め旅しているのか訊いた時、「二十歳になれば教える」と言われ、しかし結局バッツはそれを知る前に父と別れることとなった。そして今、バッツは父の教えに従い、相棒のボコと共に世界を回っていた。母の隣で眠る父は、今この場面ならどうするだろう。
「やっぱり、俺も行くぜ」
目を開けて、バッツはそう答えた。レナの瞳が明るく輝いた。
「親父の遺言なんだ。『世界を旅して見てまわれ』。それに……風が呼んでる」
レナが嬉しそうに笑う。バッツは、それを見て自分の心の中の不安が軽くなったのを感じた。おそらく、自分もまた風の神殿に向かわなくてはいけない。バッツはそう判断した。
「とかなんとか言って、本当はこの子にホの字じゃないのかい?」
茶化すような声が背後から聞こえ、バッツとレナは驚いて振り向いた。ガラフがニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。
「じいさん!気がついてたのか?」
「あったりまえよ!」
ガラフは飛び起きると、無事をアピールするように力こぶを作って見せた。レナが安堵するように笑い、バッツも呆れて笑みがこぼれた。
「しかし、道はふさがれてしまったぞ……」
急にガラフはまじめな顔になり、隕石の落下が原因の崖崩れで埋まった街道を見やった。三人は黙り込んでしまう。風の神殿に行くには街道を抜けるか、そうでなければ海を越えるしかないが、風が止まり、道が塞がった今、神殿への道は断たれていた。
「でも……行かなくちゃ!」
レナは力強く、明るい笑顔で言った。
「そうだな。行こうぜ!」
バッツもつられて笑顔になり答える。ガラフも大きく頷く。ボコが嬉しそうに羽をバタつかせた。今はとにかく前に進むことが重要だった。三人と一匹は、希望を求めて山岳地帯を進んでいった。