2010/03/31

365

Filed under: コラム — ksk @ 11:17 PM

はやいもので、就職してから365日が経ちました。
本当に早かった。多分人生で一番早く感じた365日かもしれません。

大体1年前くらい、自分の環境が変わって実感させられたもろもろの事に
ひとまず「1年後に思いだす」という判断をし、
そして「あの時辛かった事を忘れない」という決意をして、
で約束の1年後。の今。

今も辛い。

辛い中身を自分なりに分析してみると、
それは結局、環境がどうこうというより、
僕が持ってるアンビバレンツな性質のせいだと思います。

自分が死ぬまでの時間を全て自分の思い通りにしたい。
これは働きたくない、遊んでいたいというより、
フリーランスな生き方、ということが自分の究極の理想なのだと思います。
たとえば、自分の知識や表現力だけで生きていけるような。

ではなぜ僕が博士(博士後期)や、それ以外の方法で
表現しながら生きていく方法に進まなかったのかといえば、
僕が根本的に安定および他人からの承認を望んでいるから。
日々にストレスを感じる事なく、他人に生活の心配をさせることなく、
家族をはじめとする誰かに金銭的迷惑をかけずに生きたいから。
だからある程度の安定が望めるフルタイム労働者を選んだ。

こういう根本的に矛盾した2つの感覚が自分を苦しめるわけで、
それは特に普段のサイクルと違うこと、
たとえば日常のちょっとしたイレギュラー、
仕事上のトラブル、残業や休日出勤、
そういったきっかけで自分の性質と
自分が今立っている場所がかみ合わない、
そういう事を意識してしまい、辛いんだと思います。

とはいえ、短期的に見て環境を変えるのかというと、
今のところそのつもりはないです。
それはひとえに僕が安定を望む事が強いですが、
今のストレス状況を何とかして創作へのエネルギーに
変えていくことができないかと思っているから。
自分が自分の創作活動について甘えている事は、
1年を通して痛いほど実感できてきました。
もう少し色々な物をなげうってでも、
僕は創作に自分を捧げなきゃいけないんじゃないか。

次の365は、自分をしっかりと先に進めたい。
表現者として一歩一歩でも上に行きたい。
それは今の所属先へのある種背信ともいえるでしょうが、
それでも個人の僕として、僕はそうあっていきたいと思います。

死ぬ気で生きるか、死んだように生きるか。
前者で逝きたいですね。

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2010/03/30

表現物ではないという矛盾

Filed under: コラム — ksk @ 9:12 PM

BSフジのプライムニュースで猪瀬東京都副知事が
とある漫画を指して「表現物とは言えない」という発言を
したとかなんとか。

あやふやな書き方をしているのは、
ニュー速クオリティの記事タイトルで読んだだけだからなのですが、
番組サイトのハイライトではその場面は見ること叶わず。
ということで「言ったらしい」という前提で以下書いていきます。

尚、主に議論になっている「非実在」うんぬんを規制するかどうかは、
僕は以前にそれは政治材料であって表現レベルやら犯罪率に
大して影響を及ぼさないという意見で変わりませんので特に述べません。
敢えて言うなら社会教育力にマイナス、作家表現力にプラスかな??

気になったのは「表現物ではない」という第三者評価はヘンだな、
ということです。そもそも何かが「表現物ではない」に基づく議論って、
基本的に表現物がなんであるかを定義「しない」うえでしか成立しないと思うのです。
不毛な議論によくありがちな事。

先日、六本木のアートイベントを見たんですが、
そこで「アートは一人では完成しない」というフレーズを見ました。
これに僕は賛同したいと感じました。というわけで、
今回エントリではそれを引用してみたいと思います。

アートの定義もひろそうなのですが、ひとまずアート≒表現物とします。
表現物も一人では完成しない。これは作成した存在、
もしくは表現物そのものという存在に対して、鑑賞者たる存在がいなくては
表現物は表現として存在しない、という事だと考えます。
つまり表現物=鑑賞者のある何らかの存在、です。

ではある存在が鑑賞者となる条件とは何かというと、
それは観賞という行為を通してある人物が「鑑賞者となる」
ということだと思うのです。そしてその人物が鑑賞者となったとき、
何らかの心の動きがあるはずなのです。
たとえば、喜怒哀楽の何らかの感情。
そこには当然「嫌悪感」も含まれます。

ってことは、つまり猪瀬氏が「これは表現物ではない」
という評価を下すためには「観賞」が必須であり、
猪瀬氏は観賞によって「表現物ではない」とされたものを表現物にしちゃってる。

…と、僕は思うのです。
これは僕が表現至上とまで言わなくても、
それなりに「表現」の分野に多様性を残すことに前向きな人間で、
少なくとも社会や政治とかよりかは表現の方が大事だと思うからですね。

でもなんというか、大変ですよね。
全体がいけいけどんどんだから。
副知事ということで立場ができちゃってる分、
こういうのについて思ってる事言うのって大変なんだろうな。

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2010/03/28

ハード戦争

Filed under: コラム — ksk @ 10:57 PM

windows95が盛り上がった頃だったか、
最終的にゲーム機はPCにとって代わられる、
という話がちょっと出たような気がしますが、
結局そういうふうにはなってないですよね。

…っていうのは主に
・インターフェース面(プレイするまでのステップ、入力機器)
・スペック/コスト面(再生専用機である)
・セキュリティ面(クラックされにくい?これは理由として薄い?)
っていうのがコンシューマ機の強みかなと思います。
だから、再生専用ではない、編集機能に長けたPCはゲーム機に
取って代わることができない。

で、これまでハード界では過去には任天堂/セガ/NEC、
任天堂/セガ/SCEときて現在は任天堂/SCE/マイクロソフト
という対立構造があるわけですよね。
(マイクロソフトが他二社に対立できているかという問題はこの際省きます)

この先どうなるのが幸せなのかということを考える前に、
この先どうなるかということを予測すると、
結局のところ独自路線(任天堂の強力なラインナップ)であるWiiと
多くのメーカーと強い繋がりのあるSCEに2極分化するんだと思います。
それぞれのハードの強固な生存方法としては、
長く強く遊べるネットワーク対応ゲームがいかに開発されるか、
というようなものになるのかなと思います。

…が、ユーザーにとっては至極面倒なことなんですよね。
あるハードとあるハードで遊びたいゲームがそれぞれあると、
1つずつ高価なハードを買わなくてはいけない。
片方に固まっていてくれれば本体+ソフト2本の代金のところ、
本体1本分、2~3万出費が増えるわけで…

じゃあどうすればその間を取れるかと思ったんですが、
そうなるともうエミュレートするしかないのかなぁ、なんて思いました。
たとえば、PS3の周辺機器としてXbox360をエミュレートできる機器を。
PS3の本体にXbox360のソフトを挿して、動かす。
逆も然り。そういう機器をお互いのところからオフィシャルで出して頂く。
これだと、それぞれのネットワークに接続することは難しいものの、
ひとまずもう一台本体を買うという投資は必要なくなるわけで…
けど、結局ルールの違うものを動かすわけだから、
完全再現とはいかないわけで。
多少動きが悪くなったりとかして。

たとえばあるジャンルのゲームを中心にやりたい人は
PS3のが強い分野だから、PS3を買った方がいいけど、
でもXbox360にも数本やりたいのがあるんだよなぁ、
という場合にそういう手段を取れるといいよねー……
そうすると「買わないで我慢するか」層をすくい上げられるか。

と書いてはみたわけなんですが、
これってゲームが購入じゃなく配信の時代に半分突入した現代で
殆ど意味のない話のような気がしてきました。
もう少し高速化したら、それこそ意味がなくなるかも。

でも「スペックによってどのハードを選ぶか」
という時代は来るのかもしれない、と思います。
同じネットワーク、同じ配信網からゲームが遊べる時、
じゃあ後はそのゲームを最良の条件で遊ぶために
ハードをより好みする時代が来るのかなぁ。

なーんてことを考えたのでした。
結局、どのハードがいいか、という話はなくならないのかな。

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2010/03/25

草津へ行ってきました・裏

Filed under: 雑記 — ksk @ 8:16 PM

先日の記事で草津に行ってきましたと述べましたが、
その中で若干のトラブルがございまして。
出発の2日ほど前。

宿:「ごめんオーバーブッキングしちゃった。」

( ゚д゚ ) <なぬ!?

なんと受付のFAXが来てたのを見落としたとのこと。
メールには代わりの宿を用意する、
この宿は出来たばっかりだからうちよりいいよー、
お金はもちろんうちで負担!

…とのこと。しかし検索しても全く代替の宿の情報が出てこない。
しかもその宿は素泊まり限定だから飯はうちに食べに来い、との事。
いやいや、まじめに考えてしんどいだろうそれは。
ということで抗議のお電話。

宿「あ、どうも、謝らなきゃいけないんですよね」

( ゚д゚ )
いや謝らなきゃいけないかどうかはそちらであらかじめ決めて下さい。
ぼく「こまるんですけど…宿の情報も全然出てこないし。ネットできるんですか?」
宿「調べます、でメールします」

しばらくしてメール帰ってくる。
貰った宿の名前でネット検索できないのは誤字というか、
つまるところ宿の名前を変換した際の漢字・ひらがなの問題でした。
基本的事項だよ。しっかり表記してよ。

宿「●●の条件ではどうでしょう?楽天トラベルの料金変更はこちらでいたしますが。」

いやなんでこっちが料金の対応しなきゃいけないんだよ!
で、もう本来の宿に泊まるのも嫌になってきたので、
・チェックイン・アウト時刻は?
・部屋タイプは?
・飯そっちまで行くのしんどいんだけど

という旨を「箇条書きで」返信してみたところ、しばらくして

・チェックイン・アウト時刻
・飯はすまん、我慢してくれ。

と返事。部屋タイプ返せよおおおおおお
わざわざ判り易く箇条書きにしてんじゃんよおおおおお!!

交渉するのも面倒になってきたので
「もういいです、わかりました、あとはそっちで口頭で聞きます」とメール。

しばらくして返信
「インターネットの時代になりオーバーブッキングはだいぶ減りましたが、
 私的な事情で草津に居られない事情があり、つい見落としをした」

( ゚д゚ ) <あんたの個人的事情なんか知らねぇよおおおおおお

宿「あ、朝ごはん8時だからそれよりちょっと早めに来てね」

( TдT )< VOOOOIIIIIIIIIIIDDDDDDDDDDDDDD!!

————————–
という紆余曲折を経て、草津へ。
新しい宿は確かに施設もいいし広いし、風呂もきれい。
部屋にあるはずのポットとかなかったのはもはや
ここまでレベルの高い宿を相手にしてきた僕にとって
気になるレベルの問題ではなく、一言お願いしたらすぐ対応してくれて
全然問題ありませんでした。

で、朝、時間通りに朝飯を食いに本来の旅館へ。

ぼく「朝ごはん食べに来たんですけど」

宿「あ、すいませんでした本当に。じゃここ座って」

四角いテーブルにつくと、反対側に座るとテレビが見えるよとの指示。
いやいいよ、おなか空いてるよご飯食べさせてよ。
店主、おもむろにテレビをつけビデオ上映を始める。

宿「うちに来た人に見せてるんですよ、これ文部科学省の湯もみの資料ビデオ」
宿「あの小屋のやつ(昨日の日記参照)は見世物用の偽物ですから」
宿「この湯にさっと入って…うんぬん」

( ゚д゚ ) <朝ごHAAAAAAAAAAAAAAAAANN!!

その後飯を食い、メールにもどうぞお入りくださいとあった風呂を要求。

宿「どうぞお入りください。ほんとはご飯食べたすぐ後は避けたほうがいいんだけど」

( ゚д゚ ) <こっちだって初めからこの宿ならわざわざ朝の直後に入んねえよ!

ということで、実は裏で色々あった草津旅行だったのでした。
新しい宿とその風呂がとてもよかったし、ネタにもなったのでイーブンとしよう。

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2010/03/24

草津へ行ってきました

Filed under: 雑記 — ksk @ 10:13 PM

今年で26になる予定なので、
やはりフロを意識した一年にせねばならぬ、
という並々ならぬ決意のもと、草津へいってきました。

もう3月だしあったかくなってるっしょー、
という気楽な思い出現地にいくも、なんと吹雪。
凍えそうになりつつ、なんとか草津へ到着。
なるほど湯畑の中心を中心として観光街、
というかここ以外は特筆すべきもんがないのね。
悩まなくていい。風呂に集中できる。

湯畑はなるほど硫黄くさいですね。
街中に普通にお湯が沸いてるっていうのは、
なんとも不思議な景色です。

まずは草津名物の「湯もみ」を見てみました。
源泉の温度は非常に高いが、水で薄めると温泉の効能も薄まる為、
湯を空気に触れさせ温度を下げるために
長い板でお湯をかき混ぜる動きを
歌踊りを混ぜて一つの文化にした湯もみ。
湯畑にはこれを見せる小屋があります。

で、入ってみたのですが…実際にやっているのは数分。
お客さんのお試しコーナーみたいなものもありますが、
これで大人500円と思うと、思わずコストパフォーマンスを
計算してしまいました。
会場大体300人×500円×6回公演。
…ッなるほど!

で、巨大露天風呂のある西の河原公園へ。


普通の温泉旅館とかで露天といっても、盗撮なり猥褻物陳列を防ぐなどで
小さい空間をしっかり囲ってあったりするもんですが、
ここは大自然の中で風呂に入っている感覚を味わえる広さ。
さすがにお湯の中はさしずめ屋外プールのような水の状態ですが、
しかしこの雄大さはたまらないですね。

温泉の後はやっぱり温泉卵。
雰囲気だしてちゃんとお湯であっためてくれている所がありました。


温泉のあとの温泉卵は旨いですね!
で、このあたり商店街なのですが、おじちゃんたちが
温泉まんじゅうをぽんぽん配ってました。旨かった。
やはり蒸したてが一番だ。

で、あとは旅館でのんびりしつつ、さらにいくつかの風呂に入って
リフレッシュしてまいりました。のんびりするにはいい所。
が、あまり食べ物としての名物が無いのが残念ですね。
舞茸が名物らしいけれど、なかなかそれを売りにした何かはないし、
饅頭では主食にならぬ。うむむ。
あと、浴場にあんまり瓶の牛乳おいてない。うぐぐ。
しかし温泉はやはりよかったので、また機会があればと思います。

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THEゲームメーカー タイトー編・アイレム編

Filed under: お知らせ — ksk @ 7:04 AM

先日も一度ご紹介しました、「ゲームセンターCX」の
番組製作会社が制作したレトロゲーム紹介DVDの
タイトー編」「アイレム編」が発売されました。
3/19発売なのでちょっと遅くなってしまいました。

で、この中の1コーナーである
「後世に遺したいファミコンサート」に、
Game Addict’s Music Ensembleとして、ベース演奏してきました。
40人くらい演奏してるんですが、うちGAMEバンドは5人くらいです。
その割には今回もおいしいアングル結構頂いちゃってて申し訳ない。

そんなわけで、画面の端っこに映ってることもあろうかと思います。
ついにメジャーデビュー。…だろうか。

とはいえ、このコーナーは全体のうち5分くらいの短いものなので、
特別このコーナーの為に買うというよりかは、
レトロゲームお好きな方が買うのがいいのかなと思います。

初めてテレビの撮影を映される側で体験しましたが、
なるほど枠の中に映像を収める技術は面白いなと実感。
こういうノウハウを集めて本にしてまとめて読んでみたいですね。

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2010/03/20

ちょっと

Filed under: お知らせ — ksk @ 6:06 PM

GAMEバンドの移動とか練習とかで汗かいたし風呂入ってきます。

草津で。

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弁当理論

Filed under: コラム — ksk @ 12:01 AM

アマチュアのコンサートに時々行く僕ですが、あるとき
「プロのコンサートにはいかないのか」
と言われて、答えに窮した事があったけれど、
なんとなく自分の中で決着がつきました。

一言で言うと、僕がコンサートの場で客として消費してるものは
音楽ではなかったということです。

日本橋ヨヲコ先生の「G戦場ヘヴンズドア」の中で、
「素晴らしい作品ほど巧妙に必然の産物だと見せかける」
というフレーズがあります。まさに是で、
技術的レベルが高まってくるほどに、その創作物以外のものは
驚くほどにその担い手の存在感を消していきます。
エゴが排除されるというか、音楽が完成されていくほどに
逆にその奏者は消えていくわけで。

で、僕が消費したいのはそのエゴの方だと思ったのです。
この人がこの作品を作るまでに、どんな苦しみ、楽しみがあって、
それを共感できるということがとても楽しい。

もう一度日本橋ヨヲコ先生を引きますが
そのエゴとか、作品を担う人そのものを消し去るほどに
昇華された技術というのはもう「奇跡」で。
そこに至るまでにその奏者が辿ったものすごい努力、
歴史はそれはものすごいものだと思うのです。

が、その歴史を色濃く持ち、磨き上げられた人ほど
作品からそれを隠すことに長ける。
奏者と観客という関係だけでは推し量りきれない。

つまり、僕はおいしい超高級懐石料理よりも、
身近な人が頑張って作った手作り弁当に惹かれる、
ということなのだと思います。

多分、内村プロデュース!とか、もうちょい昔だとウリナリ!とか、
どっちかっていうとこの嗜好で作られたバラエティだと思います。
先にタレントの人生を植えたうえで、つたなくても挑戦をさせて
その苦労の過程を消費させる。

こういうことには自覚的でいないとなぁ。

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2010/03/19

沈まぬ太陽/山崎豊子/新潮文庫

Filed under: 本・雑誌・マンガ — ksk @ 3:11 PM

「事実に基づき小説化した」という、
ある航空企業の内部事情を描いた作品。
5分冊の長編小説は、メインの人物として描かれる恩地が、
労働組合の代表として、従業員と乗客を想ってした活動が
役員から睨まれ、海外を10年間にわたって盥回しにされる「アフリカ編」、
実際に発生した日航機墜落事故の犠牲者、
遺族と、補償にあたる会社と社員の模様を描く「御巣鷹山編」、
そして既得利権と腐敗政治にまみれた会社の態勢を正すため、
新たに就任した会長と、既得利権派閥との静かな争いを描く「会長室編」の3つで成る。

ちなみに、僕個人はというと山崎氏の小説は「大地の子」以来。
それも中学生くらいだったので遠い昔の話。

感想を述べる前に立場として、
この小説がフィクションとノンフィクションの間なため、
自分がどの立場を取って話をするかが難しい。
ひとまず「事実を伝えたかった」という立場に立つべきなんだと思う。

なぜそう思うかと言うと、この話は小説ではあるが、
現実と密接にリンクして作られていて、その最たる要素として
「完結していない」というところがあるため。
おそらく敢えて「完結していない」というおわり方にしたのだと思う。
なぜなら、それによってこの小説が取り上げた問題に対する興味は
さらに促進されるから。

フィクション小説だったなら「で、どーなったんだよ!」となるおわり方も、
現実に即しているなら読者はその軌跡をたどることができる。
そういう意味で終わり方としては秀逸。

…が、同時に事実を伝えるノンフィクションとしては結構あざといと思う。
5分冊もの長い時間をかけて筆者はこの一連の事件と会社に対する
印象をゆっくりと読者に刷りこんでいるのであって、
それをもとに読者がこの小説の先を追いかけたとして、
中立・客観的視点に立って評価することは難しい。

面白かったけれど、小説としての最後が尻切れなのが
どうしても気になった点。狙いだと判っていても、
せっかくだからカタルシスが欲しかった。

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2010/03/17

Filed under: コラム — ksk @ 7:14 PM

よくクソゲーとかマスゴミとかチョンとか、
いわゆる「蔑称」ってあると思うんですよ。
ゴミ○○とかさ。

いつからか、そういう言葉を吐くことに、
一定の後ろめたさを感じるようになりました。

なぜかっていうとこれは単純な話で、
僕の友人知人が増えたためです。

単純に考えて、2者関係において相手をけなすときは、
1:相手の事を心から憎く思っている
2:相手の事を心から信頼している
の2種だと思います。

僕はこれまでもいくつか創作、二次創作で色んなものを
知人友人に提示してきましたが、
今までそれを頭からけなされた事はありませんでした。
コンサートをすれば知人友人から労いの言葉を頂くし。
僕も当然、人のコンサートに言った時は労うし。

たとえば、相手の事をもっと伸ばすために、
誰かをけなすということは確かにあると思うんです。
でも、それは信頼関係なくてはなかなか成り立たない。
難しい行為だと思うわけです。

一般的にインターネット等で見られる「批判」的言説は、
基本的には、辛辣な言葉が多いです。
僕はそれを記述する人に単純に
「それを、制作者本人の前で言えるかどうか」
という事を聞いてみたいと思うことがあります。

たとえば、
ハンターハンターの冨樫氏に「休まずかけ」と言えるか。
韓国人の友人に「どうして韓国人は○○なのか」と
よく言われる言説を吹っかけられるか。
頑張って作った映画の監督に「糞映画でしたね」と
一言のもとに言うことができるかっていったら、
僕は出来ない。

多分、これは比較的一般的な感覚だと思うのです。
逆説的に「批判」は「韓国人」「マスコミ」「女/男」等の
カテゴリそのものか、もしくは「芸能人」「政治家」のような
ある程度偶像化した対象で多く見られます。
たとえばGAMEバンドの演奏会でも、
団員を誰ひとりとして知らない観客者様からは
非常に辛辣なご意見を頂く事もあります。

「言うな」っていうことではなくて、
「当人を前にして言えるか」という思考なのです。
「このゲームがクソでさぁ」
と言われた時、多分そのうち
「そうか、じゃあ作った人が友達だから今度紹介するよ、直接伝えて」
って返す時が来るかもしれない。
これは多分嫌がらせですよね。判ってます。

でも、そういうことだよね。
そうじゃなきゃ、批判って何のためにするんだ。
それこそ、情報ノイズを撒き散らしているだけの気がする。

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