2010/07/06

就職に関する構造的問題

Filed under: コラム — ksk @ 7:43 PM

大学生の何人だかに1人が内定が無いんだとか。
あやふやなのは、調べたら数値が色々出てきたからです。
ただひとまず、10人に1人よりかは多いみたいですね。

僕が働くのが嫌いだからというバイアスはあると思いますが、
日本の労使慣行は全体的に現状に合ってないと思います。
その中で特に声高に訴えたいのは
「もう労働は喜びでもなんでもない」ということ。
既に経済成長が頭打ちになっている今、
働くと言うことは多くの人にとって喜びではなく、
苦痛と引き換えに食べる糧を得るだけのものになっています。

が、それで労働を短時間化したり、流動化すると今度は
「フルタイム・正規雇用を前提とした社会保障制度」
とぶつかります。これによって
「フルタイム・正規雇用じゃないとまともに暮らせない」
「派遣・非常勤の契約を打ち切られたらおしまい」
という感覚が生み出されます。

この状況は、求められている労働者数が減ってたり、
会社が払えるお金が少ない時には労働者が割りを食う仕組みで、
「みんな大変だから、皆で仕事を分けて収入少ないのは我慢しよう」とか
「今は仕事も少ないし、働きやすくなるまでのんびりしよう」とか、
そういう考えに結びつきにくい。一度手放すと生きていけないから。
実際に生きていけないかというよりも、全体として
「生きていけないような感じがする」現状があるというのが問題。

つまり、働き方は多様化しているよ!というはずなのに、
ずーーーーっと前時代的な労働状況のままなのです。
前時代的な労働意識と、前時代的な社会保障がセットになって
現代に合った状況を作るのを阻み続けている。
その枠組みからこぼれた人を「能力が低い」と言い続けてる。

更に悪いのは、その労働意識がモラル化しちゃってること。
働いてないといけないような感じ、ニート批判、
正規雇用じゃないのは本人の能力が低いから、
そういう言説がこの明らかに破綻している前時代的な意識を延命させてます。

好きなことを仕事にして楽しく働く、なんてのは幻想で、
もうその楽しく働けるはずだった好きな仕事で
十分な対価が得られる可能性が低いですし、
もっと労働していない時間に光を当てるべきだと思います。
ワークライフバランスじゃなくて、ライフあってのワークなのです。

そうすると何がいいって、物を生み出すのが好きな人は
もっと自主的に何か活動をするようになる。
仕事しなきゃいけないという意識から離れることによって
社会が豊かになるんです。

…と、フルタイムで正規雇用で働いている自分が言っても
説得力はないかもしれないですけれど。
でも自分の感覚としては、日本国民は集団でお互いを労働に縛りつけて、
採用活動(労・使ともに)で時間を擦り減らしてるようにしか見えない。
それって、経済的損失もともかく、社会的損失が多大ではないですか。

具体的施策というと難しいですが、
たとえばセーフティーネットの拡大(ベーシックインカムに近い?)
家族型補償の廃止(扶養控除とかそういうのをやめて各個人に回す)
政府型の最低限保障に民間企業保険を任意で乗せる
…とか、色々あるんじゃないかなと思います。

ニート、フリーター「対策」はニートとフリーターを
正規雇用にするという、その元の経済的・精神的コストの出所を
無視した対策になっているわけで、
ニートやフリーターと正規雇用者が自由にお互いの立場を
行き来できるような社会を目指さなきゃいけないと思うんですよ。

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