非実在青少年論 オタクと資本主義/鏡裕之/愛育社
非実在青少年の諸問題にちょっと興味があって購入。
著者はポルノ小説なり18禁美少女ゲームのシナリオなりの作家で、
いうなれば教育者じゃない側の「現場の人」。
ボリュームは見た目の分厚さに反して軽め。
1節1節もそんなに重くないので、読むのも楽です。
専門書か新書かといえば新書よりの内容。
が、内容は思ったよりもずっと機知に富んでいました。
現場の人間からでしか書けないことがしっかり書いてあるし、
引用もしっかりしているし、印象論だけではない展開だし。
非実在青少年論を展開するに足る内容の濃さをもってます。
構成としては最初に長い間性癖についての話があるので、
それは後段の為に必要になるとはいえ、
耐性が無い人はここで多大なるダメージを受けるかも。
でも性表現というのはこういうものだから、読まないと先に進まない。
後半は性表現規制について様々な面からのアプローチが書かれてます。
ジェンダー、発達心理、宗教、文化人類、社会、経済、政治、利権、
思ったよりもずっとずっとボリュームがあったし中立的だった。
これはテキストとして読むに足ると思います。入り口として。
特に思春期に入った少年少女を引き合いに出した所は面白かった。
が、必要なのはここから更に掘り下げることであるし、
若干図表データが少なめな所も気になります。
前半は筆者の主観的な印象論もかなり多い。
ここを中立化して読む必要があるでしょう。
これを読んで、先日の「読む前メモ」以降に更に生まれた印象を。
性表現規制は、それが確かに社会秩序を破壊するものであると思いますが、
清濁の内「濁」を司る、規制対象に晒される側としての「性表現」が、
濁であり続けるために、時折必要なものなのではないか、と。
過去、日本では銭湯は混浴だったけれど、それを猥雑なものとして見る目が無かった。
それを猥雑な物として規定することが、すなわち規制こそが性表現を性表現として
成り立たせる側面もあるのだと思います。
巷にセックスの文字が溢れる現代としては、
このまま性表現がオープンになりすぎるよりかは
「性表現としての機能を果たすため」に、一部に規制をかけて、
オープン化していく性表現が失う機能を助長してもいいのかもしれない、と感じました。
抵抗はあると思いますが、権力の側から「これはタブーなんだよ」と伝えることは、
一時的に規制によるマイナス効果を生むのかもしれませんが、
長期的に見ると規制によって性表現の機能を維持しているのかも。
とはいえ、規制論者側にまわるわけではなく、
戦い合わせる事によってすり合わせの地点を模索し、
出来るだけ福祉を失わないレベルで猥雑さを担保する、
というところが目標点なんだと思います。
まだまだ目が離せないですね、非実在青少年論。
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